YOH UENO
YOH UENO
-KEMURI
-FreeStyle Jazz
東京出身のダンスアーティスト。出演、振付、レッスンなどを軸に、声優やモデルなど多方面で活動中。
ジャズダンスをベースに、様々なジャンルを混ぜた独自のスタイルを特徴とするオールラウンダー。
キレの良さとしなやかさ、語るような繊細な表現力を活かし、ダンスを通じて役を演じる機会が多く、数々の舞台やイマーシブシアターに出演。
Hagriとのチーム"KEMURI"としても注目を集める。
自身の舞台出演以外にも、幅広い世代のアーティストのバックアップ、メディアでの経験をする傍ら、アーティストのMVやCM等の振付/演出も手がける。
振付作品を発表する事にも力を入れており、近年では"YOH-Jirushi"という映像プロジェクトを継続中。
都内ダンススタジオや専門学校でのインストラクターを務め、地方や海外でのワークショップも行なう。
また、幼少期に声優/俳優として活動していた経歴を持ち、代表作は映画『ハリー・ポッター』全シリーズ(ネビル・ロングボトム役)の日本語吹き替え。
多くの舞台、テレビ、映画等に出演した経歴を活かし、現在もナレーションを中心にWeb CMや舞台等で声の出演を続けている。
今回はそんなYOHさんが、ダンスに出会うきっかけから、挫折と衝撃の中で少しづつ現在の方向性を掴むに至った半生を振り返る。
様々な分野で幅広く活躍しながら、アーティストとして独自の活動にも力を入れる、その背景にある価値観やこだわりに迫った。
『「ダンス」よりも「踊り」をすることを意識してる』
ー今回REELで踊っていただきありがとうございました! 日頃から踊る時に意識してることはありますか?
ありがとうございました。
できるだけ踊りの繋ぎ目を綺麗にすること、あとは空間そのものを変えること、この2つは特に意識してますね。
「ダンス」っていうと踊るスキルを指すように感じてて、一方「踊り」っていう言葉だと包括して身体表現っていう意味になる気がするんです。
そういう意味では「ダンス」よりも「踊り」をすることを意識してるかもしれません。
見てる人がグッと引き込まれるような踊りをしたいですね。
ー今回の踊りでも緩急と余韻が素晴らしくどんどん引き込まれる感じがありました! 今回(REEL)の意識したポイントなども教えていただきたいです。
嬉しいです。 DanceNowさんとは関係値もあるので今日はすごく良い気持ちで踊れました。
今回はスポットの狭い空間での振りだったんですが、その中でもできるだけ飽きがこないように体のバランスを瞬時に変えたり、そして音と離れないように、
観てる人が気持ち良くなれるというところは意識して踊りました。
『自分が見てもらう側の人間だと子供ながらに思ってた』
ーここからはYOHさんのダンス人生にフォーカスしてお話を伺いたいのですが、まずはご自身の中でここで踊り方や価値観が変わったという、3つのターニングポイントを教えて頂きたいです。
一つ目は、劇団に入って子役になったこと。
そこの授業でダンスや演技を学んで色んな舞台に出て、普通の人が経験できないことを経験できました。
二つ目は、中学生の途中で膝の怪我で、劇団を辞めたことですね。
その時期にちゃんとダンスをやりたいと思って、大学生で青学のADLというサークルでダンスを本格的に始めました。
三つ目は、25歳でさいたまスーパーアリーナのバックダンサーをやってたタイミングで、アーティストに転向しようと思ったことですね。
今みたいに自分の作品を作ったり、舞台や映画などマルチに活躍できる一人のアーティストを目指し始めました。
ーありがとうございます。その3つを軸に質問していきますね。 まずはそもそものダンス始めたきっかけは劇団に入ったことですか?
そうですね。小学校2年生で劇団に入って、その授業でダンスを習ったのが最初です。
当時「天才てれびくん」に出たくて親に言い続けてたら入れてもらえたんです。
ーダンスのジャンルは何をしていたんでしょう?
JAZZでしたね。ミュージカルに出るためのものだったと思います。
ーそもそも天才てれびくんに出たいと思ったのはどうしてなんでしょう?笑
テレビで観てて「なんで俺はここにいないんだろう?」って思ったんです笑 みんな楽しそうに歌ったり踊ったりしてるのになんでここにいないの?って笑
自分が見てもらう側の人間だと子供ながらに思ってたんだと思います。
ーすごいですね笑 それが今こうやって人前に立つお仕事にもなってる。でもダンスをしたいということではなかった。
最初はそうですね。
ダンスを意識し始めたのは高校で怪我をしていた時期です。
治ったら絶対に踊りたい!と強く思っていたので、そのあたりから自分の意思でダンスに向かっていきました。
ーなるほど。転換点の二つ目ですね。怪我の時期はどのように過ごしていたんでしょう?
その時期はダンスを沢山見てて、特にコンテンポラリーやジャズなどの切なさや美しさに感動して泣いたりしてたんです。
それでダンスってすごいなって思いました。
やっぱり最初に惹かれたものは自分の根本だと思ってて、今はそこに向かって行ってる気がします。
自分の演技やダンスを複合した表現で、人が涙を流してくれたら、そんな幸せなことはないな、と思います。
『自分で仕事を生み出さないと上にはいけない』
ーその後はADLに入るということですが、ストリートダンスのサークルですよね?
そうですね。
そこではJAZZをやりながら様々なジャンルのストリートダンスに触れました。
ADLは毎年公演があって、本格的にダンスに打ち込める環境でした。
そこでもらったものは相当大きいですね。
ーどんなことを吸収したんでしょう?
ダンスって一生終わりが見えないほど楽しいってことですね。
ジャズは好きだけど、他のジャンルの要素を取り入れられたらもっと楽しくなるだろうな…というマインドにさせてくれた場所でした。
特にバックダンサーの振りってHIPHOPなども入ってくるので、色んなジャンルに触れたことで、今様々な現場で対応できてるって感じはします。
ーバックダンサーのお仕事も学生の頃からされてたんですか?
そうですね。ADLにいる最中から色んなイベントに出てたので色んな人にお声がけいただいてたんです。
シーン的にもJAZZを踊れる人があまりいなくて、ツアーのバックダンサーのお話をいただいたりしてましたね。
あと同時にレギュラーレッスンのお話もいただいてて、大学4年生の時にはフリーランスで生きていくことに腹を括って準備してました。
ー素晴らしいですね。いきなりダンサーとして活躍するのは大変そうですが。
確かに波はありましたね。
バイトをするにしてもダンス関連でやりたいと思って、ショッピングモールの中にあるキッズダンススクールでインストラクター兼事務員を務めていました。
ダンスだけで食べていけてる、という自信に繋がったし、ここから更に羽ばたけるように頑張ろうと思ってました。
ー転換点の三つ目ですが、さいたまスーパーアリーナのバックダンサーの時は、そのバイトも辞められたんですか?
その時はもう辞めていて、他にも色々と素敵なお仕事をいただいていた時期でした。
その分、当時のバックダンサーの現場が自分にとっては良い環境ではありませんでした。
ーどうだったんでしょう?
もちろん、素晴らしいバックアップチームは沢山あって、アーティストと同じ立場でショーを盛り上げている現場も沢山経験出来たのですが、必ずしもそうではなく。
ダンサーの地位の低さを実感してしまう場所や、駒として良いように扱われているように感じてしまったことも多くありました。
スーパーアリーナでのショーは特にその感覚が強く、歌っているアーティストの単なる背景に過ぎないんだなぁ…と踊りながら強く実感してしまったステージでした。
好きなアーティストや好きなメンバーなら喜んで引き受けますが、とりあえずで仕事を請けるのはこれで最後にしよう、と思った経験でしたね。
ーそこからお仕事の関わり方が変化していったんですね。
ですね。収入は少し落ちてしまったんですが、それは仕方ないし、次のステップには必要なことだなと思いました。
その状態で自分で仕事を生み出さないと食べていけないし、それくらいしないと上にはいけないんだろうなと。
それでとにかく作品を作ったり露出できる機会を増やして、自分の頭の中身も自分の踊りもちゃんと知ってもらえるように動いていったのが20代後半でしたね。
ー影響を受けたりモデルにしたダンサーさんなどはいるんでしょうか?
あまりいないんですけど、影響を受けたなって思うのは松田鼓童さんですね。以前二人でMOROHAで踊るショーをさせてもらいました。
鼓童さんは色んな可能性を見せてくれて、こんなに好きに作品を作って良いんだって思わせてくれた人です。
以前人間関係で悩んでた時期にも、突然連絡をくれて救い出してくれた人でもあって、
良い距離感でたまに連絡を取り合ったりしてますね。
ーアーティストとして活動するYOHさんが大切にしてることはどんなことでしょう?
すごくシンプルですが、「人を大切にすること」「自分の価値を下げないこと」ですね。
良い作品を作るには自分で歩み寄らないと向こうも心を開いてくれないと思います。
あとは金銭面で、提示された額に対して、自分の意見をちゃんと伝えること。
低いと思ったら交渉するし、そうやって意思を示すことで、アーティストとしてしっかり見てもらえるようになる気がしています。
他人や自分自身と真剣に向き合う為にも、この二つは大事だなって思いますね。
ー現在は様々な現場に引っ張りだこですが、これまで特に印象に残ってるイベントはありますか?
沢山ありますが、2017年の「超ピカイチ!」という梅棒公演ですかね。
千秋楽では舞台上で本気で泣きました笑
僕は学生時代怪我で青春を謳歌できなかった。でもあそこで青春を取り戻せた気がするんです。
そういうことを思わせてくれる舞台って最高だなって思うし、そこで繋げてもらった縁が今でも途切れてない。
「YOHはああいうこともできるんだね」って思ってもらえて、マルチに活躍できるようになったのもあの時期からですね。
『KEMURIは異質なのに身近なダンスアーティスト』
ーここからは現在の活動をお聞きしたいです。まずは今具体的にやってることを教えてほしいです。
個人だと舞台への出演、スタジオや専門学校でのレッスンや育成、振り付けや「YOH-Jirushi」という映像作品作り、が主ですね。
あとHagriと一緒にKEMURIというチームを組んでます。
ダンス以外だと声のお仕事や、モデル活動、役者などもしてますね。
ーKEMURIのお話をお聞きしたいです。今回(REEL)のサングラスもKEMURIのトレードマークでしたね笑 お二人の出会いはいつ頃ですか?
相方のHagriとはシグマ(関東大学学生ダンス連盟Σ)で知り合って、 4年生で「SIGNAL」っていう公演でお互い振り師をやっていて、すごい上手い人がいるなって思ってました。
あんなに土臭くカッコよく踊れる女性のHIPHOPのダンサーあまり見たことないと思って、それで飲み会の時に話して意気投合しました。
ー惹かれるように出会っていったと。
その後、卒業のタイミングで皆が就職していく中、ダンサーとして活動を続けていた僕らはプライベートでもよく会うようになりました。
ノリで1ヶ月NYに二人で行ったりもして、喧嘩も全くなく絶妙な距離感ですごく楽に過ごせたんですよね笑
ーもう親友ですね笑 KEMURIの結成はどちらからだったんですか?
Hagriからですね。
STEP JAMというイベントでHagriが自分のショーを見て、「YOHの本来の部分を引き出せると思う。一緒にチーム組んでみない?」と声をかけてくれました。
ーすごい宣言笑 言われてどうでした?
自分はJAZZのチームを組みたいと思っていたし、とにかく予想外でした!笑
でもそれ以上に嬉しくて、挑戦してみようと!内心にやけながら。笑
ーそれが現在まで続いて、、
ジャンルは違うけど、ずっと一緒にいても苦じゃなくて、色んな経験を共にしていて。
何故か踊りの中にも共通言語があったので、一旦始めてみたら、すぐにしっくり来てしまいました。
ー去年は単独公演もされてましたよね?
「KEMURIsm」ですね。
これまでのショーを盛り込みつつソロもやって、どんな空間が作れるか試行錯誤した公演でした。
大変だったけどすごい良いものができたと思うし、自分達を応援してくれる人がこれだけいるんだって再認識できました。
ーずっとやりたいと思ってたんですか?
そんなことないかもです。なんかタイミングでちょっとやってみるかっていう。
でもなんか、3分とかじゃなくてもっと長く踊りたいよねって話してたんです。
ー次のステップとしての長さというところですか?
そうかもしれないです、ちょっと飽きたんだと思います。
それにちゃんとKEMURIっていうチームを知ってほしくて、でもチープになりたくない。
お互いが持ってるものが濃いからやっぱり長さは大事な単位だったと思います。
ーそもそもKEMURIというチーム名はどこからきたんですか?
KEMURIの由来にも自分達のことなのに諸説あるんですよね笑
一番しっくりきてるのは、煙って実体があって目にも見えてるけど、固定の形がない。
次第に透明になって、気付いたらその場の空気に溶けこんでしまう。
最初は異質だけど、どこにでも馴染んでしまう性質が僕らに似ているんじゃないかと思っています。
それが二人の存在として、煙のように溶け込んで行けたら最高だよねって話してます。
異質なのに身近なダンスアーティストっていう感じですかね。
ー面白いです笑 次のステップは何か考えてるんですか?
来年コンテストに二人でナンバーを出してみようと思ってます。
これまで他人よりも自分に打ち勝ちたいという想いで作品を作ってきたので、コンテストには挑戦してなかったんです。
でもそういうわからない場所に出ることで、どう変化するのかを楽しみたいっていう感じで挑戦したいですね。
『YOH-Jirushiは自分にも生徒にもチャレンジングな場所』
ー「YOH-Jirushi」に関しても伺いたいのですが、あれは映像作品のことでしょうか?
ざっくり言うと、舞台やホールでやらない映像版YOHナンバー、といったところです。
ーやろうと思ったきっかけはありますか?
ステージ上以外にも、こういう場所でこういう衣装で踊ったら面白そうっていうのを常に考えてて、それをどうやったら実現できるのかって考えた時に、映像作品のプロジェクトを始めたらどうだろうって思ったんです。
ーなるほど。確かにステージだけに限定することないですよね。
映像だけでしかやれないことって色々あると思います。魅せ方もそれだけ膨らみますね。
それに、上京してきた人であれば地元の人に自分のダンスや頑張りを届けることが出来る。
少ないリハ日程で仕上げ、プロに撮られるっていう経験はなかなか簡単には受けられないので、貴重な時間を過ごして欲しいという側面もあります。
ーどんなことにこだわっているんでしょうか?
ダンスの映像って多くあるんですが、ただダンスだけしている映像は少し物足りない気がします。
僕の映像では踊らない部分も多く入れてバランスを考えて構成してますね。
ー踊らないとなると演技の要素も必要になると思います。演技指導はどうしてるんですか?
何をやったら不自然かはすごく考えてるかもしれません。例えば目線一つで流れが途切れることもある。
あとはあまりにもオーバーな表現だったり何をやったら臭いか、そういう線引きをみんなで試してスッと入ってくるものを見極めてますね。
ーなるほど。制作の全体を通して意識してることはありますか?
短いスケジュールの中で、どれだけ本番で成果が出せるかは肝だと思います。
リハは2、3回しかなくて、やっぱり舞台とは違うベクトルで経験値を積めるので、みんなにはそこを持って帰ってもらいたいですね。
あとは僕自身も時間配分や構成、場所の選択など判断力、臨機応変さが鍛えられます。
YOH-Jirushiは自分にも生徒にもチャレンジングな場所ですね。
ーその対応力はどんな現場でも役立ちそうですね。特に見てほしいYOH-Jirushiの映像作品はなんでしょう?
一番最新のファッションショーのやつですね。
踊りと踊ってないとこのバランスがいいと思いますし、衣装の可愛さや、プロのモデルさんにも手伝ってもらったり、かなり大きな規模でやった作品です。
一個人が映像作品を作る中で、他にはないクオリティーで作れたなって思いますね。
YOH-Jirushi Vol.5『 -ON- 』
『“安心安全、信頼と実績の上野容”になれたら…!』
ー最後に今後の活動もお伺いしたいです。
出演するイベントで言うと、
11/5,6と12/3,4にDramatic Dining主催のイマーシブシアター、「Dancing in the Nightmare」公演、
あとは12/16,17に杉原由梨乃さん演出、DANCE WORKS主催のジャズダンス公演「Dancing!!! vol.2」に出演予定です。
ーイマーシブシアターは「体験型演劇作品」のことですよね。
そうです。今回は日本橋のアートホテル「日本橋BnA_WALL」が舞台で、お客さんはホテルの中を回りながら作品を鑑賞してもらいます。
このホテルでは雪山みたいな部屋やステッカーの自販機がある部屋など、部屋ごとの内装をアーティストが担当しているんです。
それこそダンスナウに出てるメンバーもたくさん出ますし、部屋って2、3人しか入れないので目の前でダンサーが踊る贅沢さがあります。
美術館などが好きな人は特におすすめですね。
ーそれはすごく楽しそうです!ダンサーとしての将来的なビジョンもお伺いしたいです。
自分の中ではあまり決めないようにしてて、決めるとそっちの方向にしか進めないようになる気がするんです。
なのでちょっと先にあるお仕事に全力で取り組んで、どう転んでいくのかを楽しみにやってるかもしれませんね笑
ーなるほど笑 人としてはどうなりたいなどありますか?
人としては、安心安全、信頼と実績の上野容でありたいです笑
マルチにいろんな場所に行ってどんなとこでも安心感のある人材でいたいですね。
「なんかわかんないけどYOHくんに相談してみよう!」って思ってもらえたら嬉しいですし、育成だったりシーンに働きかけることも今後していくと思います。
ー確かに、YOHさんなら柔軟になんとかしてくれそうです笑 単独公演や舞台を経て、次のステップとしてはどういうものを考えていますか?
映画ですかね。来年の2月に「エゴイスト」っていう映画で鈴木亮平さんの友達役で出演するんです。 そういう機会が増えていったら嬉しいですね。
ーすごい!本当にマルチですね笑
声使って芝居してダンスやって作品作って育成して、欲張りだけど全部好きでやりたいんですよね笑
あらゆることを楽しみながら精度を高めて、自分を見た人の人生がちょっとだけ変わってくる。
そんな存在でありたいですね。