HOnOKA
-HIPHOP

6歳からダンスを始め、三浦大知・渡辺美優紀等、様々なアーティストのバックダンサーを幼少期から経験。
同時に多数のダンスコンテストに参加し多くのタイトルを受賞する。

高校を卒業後レッスンのクラスを持ち、1レッスン100名超の生徒が集まるクラスもある人気ダンサー。
国内からもワークショップの需要が高まり自身で企画・立案、各地域でのワークショップを開催。
ダンスアーティスト/HOnOKAとしてのブランド力を確立し始めている。

今回のインタビューではそんなHOnOKAさんのダンサー半生を紐解くと共に、
今年の3月に控える、これまでのダンス人生を集結させた単独公演“COlOЯ (カラー) H 1st stage”に懸ける想いを伺った。

『一歩目を踏み出す瞬間から歌詞の人物に成り切る』

ー今回REELで踊っていただきありがとうございました! 日頃から踊る時に意識してることはありますか?

ありがとうございました!

意識してるのは、踊りと曲が別々にならないように体から音が出るような感覚で踊ることですね。

後は見てる人に伝わるように、しっかりと歌詞の意味を汲み取って踊るのは大事にしてます。

ー今回(REEL)の曲ではどのように汲み取って表現したんでしょう?

今回は少女時代の“This Boys”という曲の日本語verで踊りました。

強めな歌詞で信念を感じる曲なので、一歩目を踏み出す瞬間から歌詞の中の人物になりきって力強く踊りました!

ーキレのあるパワフルな踊りが本当にスゴかったです!

この振りはH KIDS SCHOOLっていう私のキッズクラスでやってる振りで、
音も激しいのでこれに負けないように軸を止めて次の動きにいくっていう、インナーをちゃんと使えないと踊れない振りにしてるんです。

ーハードル高めの振りなんですね笑

そうですね。

やっぱり体幹がないとグラグラしてどこの音をとっているか分かりづらくなるので、体幹が大事だよっていうのはいつも伝えてます。

ーH KIDS SCHOOLではどんなトレーニングをやっているんでしょう?

プランクなどはもちろん、腕の筋肉も必要なので真っ直ぐ腕を伸ばして三角形を作る筋トレなどもやってますね!

腕立てだど腕が太くなってしまうので、この筋トレはおすすめです。

後は今って基礎練をせずに振りから入るレッスンが多いので、アイソレのトレーニングなどで差がつくと思います。
やっぱり体を自由に動かせる練習をしてないと、深くまで体を使って表現ができないのかなと思いますね。

『唯一感情を出せるのがダンスだった』

ーありがとうございました!
ここからはHOnOKAさんのダンス人生にフォーカスしてお話を伺いたいのですが、
まずはご自身の中でここで踊り方や価値観が変わったという、3つの転換点を教えて頂きたいです。

一つ目は、小学校1年生の時で、人見知りが激しかったんですけど、初めて慣れた先生と出会えてダンスを続けられたことです。

二つ目は、18歳の時でレッスンを始めてクラスを持ったこと。

三つ目は、19歳の時にHIPHOPからGIRLSにジャンルが変わったことですね。

ーありがとうございます。その3つを軸に質問していきますね。
まずはそもそもダンスを始めたのはいつ頃ですか?

ダンスを習い始めたのは5歳ですね。

スポーツクラブの中のダンススクールみたいなところに通い始めたんですけど、
当時は人見知りがひどくて、泣いてスタジオに入れないみたいな感じだったんです笑

だからその時はダンスを習う以前の段階でした笑

ー今多くの人と関わっている姿を見ると意外ですね笑

一応今でも人見知りではあると思うんですけど、一人の先生との出会いがきっかけで心が開けた感じですね。

ー転換点の一つ目ですね。

そうです。

小1の時にダンススクールを変えて、そこで出会った女性の先生がいつの頃からかすごい好きになって、
その人にずっとくっついて6年生くらいまでそこで習ってました。

ーすごい懐きようですね笑

自分でもビックリです笑

今でも人見知りの生徒がいると昔の自分を見てるようで、心を開いて欲しい!と思ってすごい喋りかけたりしちゃうんです笑

でもそれで本当に変わってくれて、最初は全然喋ってくれなかった子が今ではどこにでもついてくるようになったり。

過去の経験があったからこそ、今こうやってコミュニケーションができてるのでそれは大きな出来事でしたね。

ーダンサーはかなり注目を浴びる立場でもあると思うんですけど、ダンスに惹かれたのはどうしてでしょう?

昔ミニモニをテレビで見て真似して踊ってたらしくて、それを母が見かねてスクールに入れてくれたんです。
だから踊ることは大好きだったんです。

でも人見知りなので日頃から自分の感情を出せなくて、、
それでも唯一感情を出せるのがダンスだったんですよね。

ダンスがあったからその時の気持ちを吐き出せてたので、そういう意味でもダンスは私の中でずっと中心でしたね。

DSC00280

『苦手だったGIRLS HIPHOPが突破口に』

ー中学生の時はどのように活動していましたか?

バックダンサーのお仕事をさせて頂いたり、チームを組んでコンテストに出たりもしてました。

その時期に色んな経験ができて、やりたいことが定まっていった感じはありますね。

ーやりたいことというのは?

私はどちらかというと、ダンサーがメインになるような立場でお仕事ができたらと思っていて、
世間でもっとダンサーがフューチャしてもらえるような活動をして行きたいっていうのは高校生くらいから考え始めましたね。

ーその段階でもう自分の行きたい方向を見つけてたんですね。
二つ目の転換点では18歳でインストラクターに。

高校卒業したらインストラクターをやりたいと思ってて、
DA PAMPのKENZOさんのスタジオで、キッズクラスと一般のクラスを持たせて頂きました。

それから都内でNOAのレッスンも持ててすごい嬉しかったんですが、
いざ始まったら「私はまだスタートラインに立っただけなんだ」って思ったんです。

ースタートライン、、

当時は外部のナンバーとかに出たことがなくて、他のダンサーさんとの交流や自分自身の知名度もなくて、
レッスンが始まったのに生徒一人の時とかもありました。

それでここからどうやって自分は動いていけばいいのかっていうことを考え始めたんです。

ーなるほど。HOnOKAさんにもそういう時代があったんですね。。

みんなはどういうレッスンを受けたいのか?、私にしかできないコレオってなんだろう?、もっとこうやって教えたほうが良かったのかもとか、
レッスン終わりの電車では毎回一人反省会をしてましたね。

ー今では多くの生徒さんがいますよね。何か突破口が見えたんでしょうか?

その時期くらいからGIRLSっぽい動きや曲を使い始めたんです。
そしたらみんなのウケが良くて。

ただ実はそれまでドープなHIPHOPが好きだったんで、GIRLSみたいな可愛い振りが苦手で全然踊れなかったんです笑

ーそうなんですか!?また意外ですね笑

当時は帽子は深く被って、靴は絶対 VANSみたいな今とは全然違う感じでした笑

あとレッスン以外にもう一つGIRLSに向かうきっかけだと、
今でも仲のいいみるきーさんのバックダンサーをやらせてもらって、 その振りがすごい可愛いくてどうしよ〜って感じだったんです笑

でもそこで自分の苦手を克服しないと!と思って独学でGIRLSを練習し始めました。

ー転換点の三つ目ですね!
どのようにGIRLSを勉強したんでしょうか?

当時はビヨンセアリアナ・グランデのライブ映像とかを観てたりしてました。

それで体のラインを綺麗に見せたり、女性が輝けるダンスってすごい魅力的だなって思って、
GIRLSっていうジャンルがすごい好きになっていったんです。

ーおお。苦手から好きに。

それで体の使い方や魅せ方を自分で研究して振りをつくって、レッスンでやってみたら徐々に生徒が増えてきて、

最初は中目黒のNOAを持ってたんですが、そこが満員になって恵比寿のNOAでもやらせてもらって、70人くらいのキャパが埋まるようになりました。

最終的には新宿の広いNOAでも140人くらいの生徒で埋まるようになって、 新宿NOAでのレッスンは一つの目標として頑張ってきたので、それが達成できた時は本当に嬉しかったですね!

ーすごいです! 現在はNOAでのレッスンはやっていませんよね?

そうですね。
2021年でNOAと元々やってたKENZOさんのスタジオを卒業させていただきました。

というのも落ち着ける場所になってしまって、このままだとずっと居続けちゃうと思ったんです笑

それで新しくEnMAJORで今はレッスンをしてて、そこでも目標を持ってやれば新たなものを見つけられるはずって思ったんです。

ーすごく勇気のいる決断ですよね。何か新しい発見はありましたか?

今はGIRLSのキャッチーな要素に加えて、スキルが必要な振り付けに力を入れてますね。

やっぱりドープなHIPHOPの雰囲気が私は好きで、アニメーションを入れた音ハメなども入れたスキルのある振りをやれたらと思ったんです。

それをレッスンでやってみたら生徒のみんなも喜んでくれたので、今はそっちの方向性で模索してますね。

ー本当に色んな経験を経て今に至ってるんですね。

本当に色んなことをしましたね笑

でもそれが今に活きてますし、全部がいいことではなくて悲しいことも悔しいことも今ではこうやって話せますし、
生徒のみんなにも伝えられことが多いので、全部経験出来て良かったって思うことしかないですね!

スクリーンショット 2023-01-06 20.15.49

『単独公演は集大成でもありスタートでもある』

ーここからは現在の活動をお聞きしたいんですが、 まずはざっくり今どんな活動をしてますか?

ダンサーとしては、レッスンをやりながら、WSで全国を回ったり、イベントに出たりですね。

後はeicHi!という自分のブランドをプロデュースしてたり、たまにお洋服のブランドのモデルなどもやらせてもらったりしてます。

ーお忙しいとは思うんですが、特に今は単独公演が控えてますよね?

そうなんです!

"COlOЯ H 1st stage"という私の初の単独公演を、3月5日に大手町三井ホールで開催予定です。

ー単独公演すごいです!
COlOЯ (カラー) という公演タイトルにはどういう想いが込められているんでしょう? 

COlOЯというタイトルに決めたのは、感情って色で表せると思ってて、例えば、悲しければ青とか、怒ってれば赤とか。

小さい頃から私にとってダンスは踊るだけじゃなくて気持ちを表現できるもの。
だからこそそれぞれの気持ちで表せる踊り方や表現の仕方があるんです。

それを全部一つの公演で見せられたら面白いんじゃないかって思ったんです。

なのでこの公演では、ダンスを通して感情をどれだけ表現できるのか?っていう挑戦としてCOlOЯというタイトルにしました。

ーなるほど!ロゴもそのお話に由来してるんですかね?

そうですね。

ロゴの真ん中のお花は、感情を色相環で表した「プルチックの感情の輪」がモチーフになっていて、
その周りにある輪っかは大人になっていくにつれ感情を隠してしまうことを表現したかったんです。

Rも逆になっててこれは感情の裏表を表していたりします。

ー細部までメッセージがこもっているんですね。
公演自体はどういった構成で考えているでしょう?

公演時間は75分間のショーで、人の人生の浮き沈みとその感情を表したくて、
映画のように全てのショーが切れることなく1個のストーリーで繋がってます。

ーそれは新しい試みですね!
メンバーも既に集まっているんでしょうか?

9月くらいに募集しましたね。

その時は公演のタイトルとテーマだけで、具体的な内容に関しては何も言ってなかったんで、正直集まらないかなと思ってたんです。

それでも100人近くの子がエントリーしてくれて、その中の65人に今回は絞らせてもらいました。

気持ちの強い子達が集まってくれたんで、リハでの姿勢も熱量がすごくて素敵ですね!

ーすごいですね。
そもそも開催のきっかけはなんだったんでしょう?

2021年の年末くらいに、次のステップとして私は何をやるべきなんだろう?って考えてたんです。

それでずっとステージに一人で立つっていうことはやってみたかったなと思って、
ナンバーイベントだと一つの作品が3、4分で終わっちゃうんですが、
できることなら作品をもっと長く観せたいし、自分の世界観を一つのステージで表現したらどうなるんだろう?、ダンスの可能性を自分の中で形にしてみたいな。
なんてことを考えてて徐々に固まっていった感じですね。

それでも実際やるっていうところまでは中々持っていけなくて、ちゃんと決心できたのは去年(2022年)の6月くらいです。

ー単独って中々できることじゃないですよね。
決心できたきっかけがあるんですか?

生徒達の存在が大きかったですね。

レッスン終わりによく生徒達とお喋りするんですけど、 彼女達の顔を見てた時に、
自分の為だけじゃなくてみんなの為にもやりたい、
新しい景色を生徒のみんなにも見せたいし、それを一緒に作り上げられるならこれはやるべきなんじゃないか!って思えたんです。

それでまずは箱を押さえて逃げ道を捨てて、やってやるぞって決心できました。

ー生徒の存在が大きいんですね。
今はリハの時期ですか?

そうですね。
作品作りとリハの毎日です。

ただ、やるって決めてからだんだんと形になっていくのを見て、未知で不安はあるけど新しいことをやってるから毎日すごい楽しいですね!

ーどんな公演になるか楽しみです!
今回の公演はこれまでのダンス人生の集大成的な感じなんですかね?

集大成でもあるんですが、同時にスタートでもありますね!

公演をやらないと見えなかったものが、この先にきっとあると思います。
今はそれを見つけるのがワクワクしてます。

ーHOnOKAさんの2nd stageですね!
チケットの販売はこれからでしょうか?

そうですね!
これからそこも含め私のインスタで情報をいろいろ載せていくのでチェックしておいてもらえたら嬉しいです!