suzuyaka
-JAZZ

幼少期からバレエやJAZZを始め、その後HIPHOPやラテンダンスへと幅を広げる。
嵐メンバーとのペアダンスが話題となった嵐MV 「未完」 出演を始め、 青山テルマなどのLIVEや、演劇の舞台へも出演。

また、コブクロ /EXILE / 香取慎吾 等のLIVE、MV、TVの振付や、 Netflix 「浅草キッド」 、 スリムビューティーハウスCMなどの振付も担当。

さらにシンガー、バンドと共に楽曲制作や振付提供、レストランでのLive showを行うCrew "Ranunculus"(ラナンキュラス)のプロデュースをするなど多方面で活躍する。

今回はそんなsuzuyakaさんの人生の転換点を探りながら、紆余曲折を経て現在の価値観に辿り着いた経緯。
さらに自主公演"Ranunculus"のこれまでや見所、さらにはその行動力の源に迫りました。

『常にステージに立っていることを想像する』

ー今回REELで踊っていただきありがとうございました!
日頃から踊る時に意識してることはありますか?

ありがとうございました!

普段レッスンで教えるときもそうですし、リハーサルのときもそうですけど、常にステージに立っていることを想像するっていうのは意識してますね。

やはりステージ上では、何かエネルギーというか全然魅せ方も表情も変わるので、練習しているときも本番だと思うようにしてます。

確かに今回のショー(REEL)では気迫のようなものを感じました!
どんなステージをイメージしていたんでしょう?

今回はレストランでのショーをイメージして、近いお客さんに向かってパフォーマンスする感じで、視線などを意識しましたね。

バラードとかやるときはもうちょっと大きい会場を想像して、遠いお客さんにも空気が届くようなイメージで踊ったりします。

ー今回のダンスに関して、注目して欲しいポイントなどはありますか?

まずは衣装に注目して欲しいですね。

勝負服でっていうお願いだったので、私たちの勝負服はオーダーメイドの衣装が多いんです。

今回の衣装は、2年前にソロでパフォーマンスしたときの衣装を選ばせてもらいました。

-衣装もsuzuyakaさんの踊りを彩っていて圧巻でした。

ありがとうございます。

踊りの中でどういう風にスカートを使うかとか、どういう感じで舞うかなども考慮しているので、その部分にも注目して欲しいですね!

あとはスカートが舞った時にパンツが見えてしまうと美しくないので、足を上げたときに、どの角度でどの程度上げたら見えないかなども意識して振りを考えてたりもします。

その辺も意識してもらえるとより面白く観れるかもしれませんね。

『青山テルマさんのツアーダンサーになって、ダンサーとして認められた

ーありがとうございました!
ここからはsuzuyakaさんのダンス人生にフォーカスしてお話を伺いたいのですが、
まずはご自身の中でここで踊り方や価値観が変わったという、3つの転換点を教えて頂きたいです。

一つ目は、20歳の時に青山テルマさんのツアーダンサーになったこと。

二つ目は、22歳の時に自主公演を初めてやってこと。

三つ目は、24歳の時でラテンのカンパニーに絞って活動をし始めたことですね。

ーありがとうございます。その3つを軸に質問していきますね。
まずはそもそもダンスを始めたのはいつ頃ですか?

ダンスを始めたのは覚えてないくらいちっちゃい時なんですけど、幼稚園くらいかなと思います。

ーきっかけは何だったんですか?

母がバレエが好きで、家からすぐのところにバレエスタジオがあって、姉と私と母みんなで行ってたんです。

正直最初は無理やりやらされた感じだったので、あまり興味はなかったんですよね。

ただ、気がついたら当たり前のように通ってて、皆勤賞を何年ももらってたので本当に毎日行ってたんだと思います。

ーそうなんですね。
JAZZダンスとの出会いはいつなんでしょう?

実はバレエを中学1年生の時に反抗期で辞めてしまったんです。

そしたらこれも何の運命かわからないですけど、家のポストの中に「JAZZダンスのスタジオができました」っていうチラシが入ってて、
そこに通って3年間オールドスタイルのJAZZをやってました。

それで高校生になってからは、ダンス部でHIPHOPやPOPもやったりストリートダンスにハマっていきましたね。

ーsuzuyakaさんの中でバレエよりもJAZZダンスがしっくりきたポイントがあるんでしょうか?

JAZZの方がバレエよりも自由度が高いと感じますね。

バレエは決まった動きや演目があって、それを正確に真似して揃える必要がありますが、JAZZは表現が自由なので、自分の好きなように踊れるという点が魅力的でしたね。

ーそうなんですね。当時は高校卒業後はダンサーとしてやって行きたいって思ってたんですか?

やっぱりダンスしかないと感じてたんだと思います。

私は集団生活が苦手で会社員には絶対なれないと思ってたんです。

ただ親が厳しくて、大学行かないのはありえなかったし就職しないとかフリーターとかありえないみたいな。

それで1年英語の専門学校にいって、そこを卒業してから1年だけフリーターを許されて、そこで結果出さないと就職みたいな感じで当時は本当に必死でしたね。

-運命を決める1年、、
そのタイミングで青山テルマさんのバックダンサー(転換点1つ目)になれたんでしょうか?

そうですね。やっぱりダンスをしていない人にとっては、彼らが知っているアーティストと仕事をすることでしか「すごい」と思ってもらえないんですよね。

あとは当時実家に居たので、リハーサルやツアーの本番があると家にいない時間が圧倒的に増えるんですよ。

それで家族にも「ちゃんとダンスができている」と思ってもらえて、ダンサーになることを認められたんですよね。

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『プレイヤーより作る方が楽しかった』

ー転換点の二つ目では22歳で初の自主公演ということですが、どんな内容だったんでしょうか?

今のRanunculusのスタイルとほぼ一緒で、CLUB CITTA'に花道を作ってテーブルと椅子並べてレストランみたいに改造して、 ショーの内容は今とほとんど一緒ですね。

当時は別に有名でもなんでもなかったですけど、私はこういうのが好きなんです!こういうことがやりたいんです!っていうのを表現したかったんですよ。

あとは自分はプレイヤーとしては向いてないのかもって悩んでたのもあったので、プロデュース側の道を模索してたのもありますね。

-プレイヤーに向いてないと思ったのは何かあったんでしょうか?

昔から周りの同世代の子達がとにかくスタイルが良くて可愛い人がたくさんいたんですね。
それでいて踊りもオールジャンル踊れる、、
この子達と戦ってもまず自分にはプレイヤーのお仕事は来ないなと思ったんです。

ダンスはすごく努力したら良くなるけど、元々生まれ持った骨格自体は努力で変えることはできないのでやっぱ周りと私は違うなって。

-それはすごく意外です。

まあプレイヤーより作る方が好きだし楽しかったっていうのが強いですね。

普段から自分のこと撮らないですし、Ranunculusでも自分が踊るのは1本だけだったり笑

ただその自主公演からDANCE@HEROのお話をいただけて、
色んな人がそれで観てくれて振り付けのお仕事をいただけたり生徒も増えたり、
徐々にお仕事に繋がって行きましたね。

ー自主公演から色んなことが動き出したんですね。
3つ目の転換点では、また一転ラテンに。何がきっかけだったんでしょう?

私が10代の頃にすごく流行ったアメリカンダンスアイドルっていう番組があって、JAZZダンサーはみんな観てるみたいな。

そこで初めてラテンダンスを観た時に、なんてカッコいいんだろうって思って、
ラテンとストリートを混ぜたカンパニーが日本にあって、そこに22歳の頃に入りました。

それで24歳の時に、私のラテンの師匠に「あなたはダンスが上手じゃないから、今の若くて体が動くうちにちゃんとダンスが上手くなって、踊りで認められるようになってほしい」って言われて。

流石にそれを言われて頑張らない人はいないと思います笑

ーすごいズバッと笑

あとは、自分のカンパニーや自主公演では自分がずっと上に立っていたので、
着いてくる人の気持ちを理解しづらくなってて、人を思いやれない自分に気づいたんです。

だからついていく側の気持ちも知りたいと思って、他を辞めてラテン一本に絞ろうと決めたのが24歳のタイミングですね。

ー実際にプレイヤーになってみてどうだったんでしょう?

本当に必死でしたね。ストリートに比べてお金もかなりかかるんですよ。

カンパニーはリハーサルをするだけなので、レッスンを受けに行きながらリハーサルで作品を作るっていう生活で、
お金もなくなったし、バイトも空いてる時間が数時間しかない。
他の仕事も断らなきゃいけなかったので、精神的にも追い込まれていましたね。

だから、今プロダンサーの人達とやっているRanunculusは、一切縛らないスタイルにしています。

メンバーが固定のカンパニーではなく、出れる時に出れる人が出る、
良い出会いがあれば新しいキャストにも加わってもらう、Crewのようなイメージでやってますね。

ーなるほど。
当時のプレイヤーとしての目標というか、どういうところを目指してたんですか?

その時は、私だけじゃなくて残ったメンバー全員が大きい仕事を辞めてそこのカンパニーに所属してたんで、とにかくそのカンパニーの名が知れるとか、
仕事が入る団体にすることがその時のみんなの目標でした。

ーそのカンパニーにはいつ頃まで在籍していたんでしょう?

2年間みんなで全力でやったんですけど、主催の方がもう潮時かなっていうのを決めて、カンパニー自体がそこで終わったんです。

ただそこで下として頑張った経験は今の糧になってますね。

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『原動力は、死ぬ時に頑張ったと思いたいから』

-様々な経験をしたからこそ今があるんですね。
suzuyakaさんの現在の主な活動も教えて欲しいです。

基本は振り付けのお仕事ですね。

Ranunculusなどの自主公演は年1回やってるんですけど、コロナの影響もあって、今年からやれるかちょっとよく分からなくて、
なんでも続けるのは難しいなという感じですね。

ーRanunculusに関してもう少しお伺いしたいんですが、公演自体はいつ頃から始まったんでしょうか?

CLUB CITTA'の自主公演が大元なんですが、そこから浅草のゆめまち劇場っていうとこを紹介していただいて、そこで数年お世話になりました。

ただそこの劇場が潰れてしまって、そのタイミングで羽田にLDH kitchenという舞台を併設したレストランが出来たということをアノマリーのカンタローさんから伺って、今はそこで公演をしてますね。

-当時から「Ranunculus」というタイトルだったんでしょうか?

いえ。羽田に移るまでは、生徒と一緒にやっててタイトルも毎回バラバラだったんです。
羽田に移った時にありがたいことに予算が増えて、ゲストを呼べるようになって、プロの方々にお願いできるようになって。

それを機にタイトルをRanunculusに統一した感じですね。

ーなるほど。ちなみにRanunculusはどういう意味なんでしょう?

Ranunculusはお花の名前で、花言葉が素敵なんですよ。貴品とか魅力などの意味があります。

あとカラフルなお花なので、いろんな個性の寄せ集めというか、
ダンサーさんもそうですけど、シンガーさんも全然違う界隈で歌ってる人たちを混ぜて、カラフルな花の名前と合ってちょうどいいのかなと思ってますね。

-そうなんですね。Ranunculusの見所はどんなところでしょう?

Ranunculusで大事にしていることは、まず第一に音楽と踊りです。

私はダンスだけの公演を作ることに興味がなくて、音楽を聴くこと、踊りを見ることが好きなので、音楽は生バンドや生歌にしてます。

踊りに関しても全然違うものを取り入れているところが見所ですね。
例えば、ポールダンスやエアリアルなど、普通のダンスイベントではまず出会わないけど、こういうショーダンスにとっては本当は必要不可欠なものを混ぜたりしてます。

あとはJAZZダンスだけではなく色んな踊りができるような方にお願いしていて、
例えばYOHくんやBETTYKiKiにはHIPHOPの要素を入れてもらったり、イルカ野にPOPやアニメーションのシーンを入れてもらったりしていました。

この空間にハマるのであれば、いろんな要素を入れたいっていうのが根本的にはあるので、なんでもありなショーダンスなのかなと思いますね。

-自分も前回の公演を観させて頂いて、確かにまとまりはあるんですけど、その中にもそれぞれのダンサーさんの個性が輝いてる感じかしました。

そうですね。統一感はあっても個々がぶちかますみたいなのは大事にしてます。

一つの公演でキャストの色んな顔が見れて、かっこいいも、可愛いも、綺麗も、面白いも、全部網羅してることも見所ですね!

-次回のラナンキュラスの公演はまだ未定ということですよね?

そうですね、現時点では未定ですね。

出資してくれる人を探しているので、これを観ている方でご縁があれば是非お声がけください笑

ーどなたか是非お願いします笑
今後はどういうことをやっていきたいなどはありますか?

すごく明確な目標っていうよりは、人を輝かせる仕事がしたいので、周りのダンスを頑張っている人に何かお仕事をあげれたら嬉しいしですね。

その仕事がライブだろうが、企業のイベントだろうが、舞台だろうが、全部私は好きなので、
自分がオールマイティーになってお仕事をいただいて、周りの人たちと一緒に仕事をする。

それがずっと続けばいいなと思ってますね。

-繋ぐ存在ですね。人としてこうなりたいなどもありますか?

休みがない人になりたいですね。

もっともっと忙しくなりたいですし、その為には人との出会いも大事なので若い子たちとも出会いたいですし、自分自身ももっと沢山勉強しないとですし、一生ゴールはないと思っています。

やりたいことはたくさんあるので、死ぬまで頑張りたいですね。

ーすごいです。その原動力というか、エネルギーはどこから生まれてくるんですか?

原動力は、死ぬ時に頑張ったと思えるようにするためですかね。

今自分は30代なんですけど、女の30歳ってすごくギャアギャア周りから言われるんですよ。

結婚、出産、パートナーとか、そういうのを27歳からの3年間ものすごいいろんな人に言われて、本当に嫌になっちゃって。

でも実際30歳になったら、まだ人生めっちゃ長いじゃん!と思って、あと何十年もあったら暇で死んじゃうよって笑

それに常に今が一番若いし身体が動くので、そうなると時間が惜しくて、今のうちにもっといろんなことしたいって思ってるんです。

-確かに自分も今20代後半で30歳への焦りが出てるんですが、人生100年って考えたらまだまだ先は長いですね。

そうですね。でも20代はいい意味で焦ってもいいかしれませんね!

失敗が許されるのが20代なんで、若いうちに色々やってみることも大切だと思います。

-そうですね。ボコボコにされながら頑張ろうと思います笑
suzuyakaさん本日はありがとうございました!

ありがとうございました!

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撮影・編集・インタビュー:ReoKomatsu