WAPPER
WAPPER
-NewSchoolOrder
-AllStyle
Rock Steady Crew Tokyo、Born 2 Funkの一員として名を馳せていたB-BOYでありながら、
怪我をきっかけに自身の音楽性と向き合い、多種多様にジャンルをFusionさせていくAllstyle Street Dancerへと転身。
その唯一無二のスタイルは、両国国技館で行われる日本最大のダンスバトル「DANCE ALIVE」で三度の日本一に輝くなど、
数多くの舞台で圧倒的な存在感を放ち、多くのダンサーを唸らせてきた。
DJなどを含めたソロ活動のほか、名だたるダンサーとのユニットや、
チームNewSchoolOrderでは影のブレーン役として日本を代表するチームを支える。
また2021年よりD.LEAGUE「dip BATTLES」の2nd seasonのアシスタントディレクターに就任し、
経験・知識・作品づくりのスキルを新世代へ伝達。
自身としても《音楽第一》の信念の下でストリートダンサーとして研磨し、
ゴール無き道を深化し続けている。
今回はそんなWAPPERさんのロングインタビューを敢行。
音楽性とジャンルを越境するダンススタイルが形成するに至ったこれまでのダンス人生、
どういったアプローチで音楽を解釈しダンスへと昇華しているのか、
そして40歳を目前に現在考えていることやこれからの展望など、
様々な角度からお話を伺った。
『ダンサーとして同じバンドに入った時、どこにいたら音楽の邪魔にならないかを考える。』
ー今回REELで踊っていただきありがとうございました!
まずダンスのことからお聞きしたいのですが、WAPPERさんのダンスを形成するにあたって踊るときに何か意識してることはありますか?
自分が特に意識してて、レッスンでも度々言うのは、音楽を追い越さないことですね。
自分が踊る際にも、音楽第一を最も意識してます。
消去法をしていった時に、やっぱり音楽が無くなるとストリートダンスとして成り立たなくなってしまうので、
踊る時も教える時も、自分と音楽の主従関係を崩さないようにしてますね。
ーなるほど。 音楽を第一と考えるにあたって、どのようにダンスに昇華するんでしょう?
そうですね。
まずはステージの上に、リードボーカルやリードギターがどこにいて、ドラムがどこにいて、ベースがどこにいてっていう、
ステージの中での立ち位置を考えます。
立ち位置は音色の鳴り方で大体の場所が決まってて、
例えばドラムとベースは音楽の土台となるので、メンバーみんなを見渡せる後ろの場所にいる。
リードボーカルやリードギターはバンドの顔だからお客さんに見やすいように前の位置にいる。
そんな中でダンサーとして自分がステージに上がった時、
つまり同じバンドチームに入った時に、どこにいたら音楽の邪魔にならないかを考えてます。
リードボーカルやリードギターをどかして音楽を掻っ攫うようなダンスはしたくなくて、
厚かましくなく、それでいて奥ゆかしく、演奏者とは別に踊り手がそこにいることによって音楽を具現化して、お客さんが目でも耳でも楽しめる。
そんな音楽に対して意味のある存在になることを意識してますね。
ー分かりやすく、かつ簡単には実現できなさそうな領域ですね。
そういった存在になる為に、具体的にWAPPERさんがどんなことをしているのかも気になります。
やっぱり音楽の聴き方の勉強や、歴史などの勉強を大事にしています。
例えば、三連符/四連符、三拍子/四拍子、
また演奏のみならず歌い方としても、スタッカート/ビブラートなど、
そういった音楽に関する知識もレッスンで教えてます。
それが分かると踊り手としても、溜める意味や止める意味などが分かってくるんです。
演奏者と違って踊り手は身体はそれぞれのパーツが楽器だと思ってて、
例えばドラムはステップ、ベースは胴体、ホーンとかの上物は手捌き、曲のメッセージ性は目線など。
一個の音楽が入ってきた時に、そういった自分の中のパート分けを意識して、
それらが同時で鳴った時に不協和音が起きないよう、体の中で構成してますね。
ー音楽性に関して深すぎるお話をありがとうございます。
フリースタイルで曲がかかってきてすぐに対応できるものなんですか?
なのですごい練習してます笑
ダンスの練習とは別に聴き分ける練習などもしてます。
音楽を聴いた時に、それが何拍子なのか?曲の構成はどんなか?サビは何エイトなのか?など。
例えば、韓国料理は食べたことあるけどタイ料理は食べたことない。
でもタイ料理を食べた時に何となくアジア系の香辛料感だなっていうのがわかると思うんです。
それと同じで全く知らない曲でも、これはアトランタ側だなとか、これはニューオリンズの影響を受けてるなとか、80年代90年代っぽいとかが分かってくるんです。
そうやって身体を動かすとは別に、音楽への感受力を養ってますね。
ーとてもわかりやすいです!
それがリスナーの聴き方とダンサーの聴き方の違いということでしょうか?
そうです。そこはすごい変えてます。
リスナーとしては、プロダンサーとしての音楽の感受の仕方とは別で、
ケンドリックのラップかっこいいなとか、マライアの曲はすごい奥行きだなーとか、ただの一ファンとして聴いてますね。
ーちなみに今回のダンス(REEL)で使った曲は、どんな意図でチョイスしたんでしょうか?
まずメディアに出してもらうにあたって、なるべくみんなが周知してるアーティストがいいとのことなので、
今回はボビー・コールドウェルという名曲を出し続けるレジェンドの、
数ある曲の中でも『Open Your Eyes』をチョイスしました。
あとはメディアの特性上、誰でも一回聞けばメロディーを口ずさめるような曲がいいなと思ったのと、
今まで出演された若い子たちが踊れないような、この歳にならないと雰囲気がでないような選曲をしましたね笑
ー本当に素晴らしい曲でびっくりしました。聴いた瞬間に込み上げてくるものがあります。
古い曲ですがやはりいい曲はずっと残りますし、
J Dilla、Commonなどのレジェンドにもサンプリングされてる名曲ですね。
ーこの曲をどのように解釈してダンスに昇華したんでしょうか?
この曲は好きだった恋人へのメッセージを歌ってる曲なんですけど、
それをリリカルにリップシンク表現で踊るっていうのがあまり好きでなはくて、
ボーカルは音楽を感じて、それと調和するように自分の歌声を乗せてますが、
僕らダンサーも音楽に合わせて自分の踊りを乗せるので、やることは近いと思うんですよね。
なのでボーカルをとって踊ると、その歌い手のリズム、間、呼吸を真似してるだけで、どうしても二番煎じになってしまいます。
自分はダンサーとしてボーカルと別の表現もしたい。
でもあくまでストリートダンスの枠の中で踊りながらも、歌の内容は無視したくない。
そのバランスを今回すごく意識しました。
『音楽が好きで踊ってる。そこに気づいて救われた。』
ー非常に勉強になるお話をありがとうございます!
ここからはWAPPERさんの過去からお話を伺いたいのですが、
まずはご自身の中でここで踊り方や価値観が変わったという、3つの転換点を教えて頂きたいです。
絞るのが難しいですが、
一つ目は、20代前半に、Rock Steady Crew Tokyoのメンバーになったこと。
二つ目は、首の怪我でBBOYからALL STYLEに土俵を変えたこと。
三つ目は、2021年にDリーグ「dip BATTLES」にアシスタントディレクターとして参加したこと。
ーありがとうございます。その3つを軸に質問していきますね。
まずはそもそもダンスを始めたのはいつ頃ですか?
ダンスは中3からですね。
中1くらいからスケボーを始めて、その辺からストリートカルチャーに目覚めます。
それから中2、3くらいでスケボーのレジェンドがくるぞって、初めてクラブに行ったんです。
そこにRock Steady Crew NYも来てショーをしてて、 初めて生で見るダンスに完全にくらってしまいました。
ースケボーを見に行ったイベントでダンスに衝撃を受けたんですね笑
そうです笑
それでスケボーをやっててもダンスのことが頭から離れなくて、
ダンボールを地面に敷いて真似して踊ったり、段々とダンスにハマっていきましたね。
ーその時は周りにお仲間はいたんですか?
基本的にはずっと一人でした。
シーンに入っていくきっかけはBBOYバトルで、横浜や池袋などのクラブでバトルに出てました。
ー当時からバトルで優勝などもされてたんでしょうか?
いや、ひたすら負けましたね笑
自分はレッスンに通ったことがないので、独学で進歩も遅いし怪我もしまくるし、
当時はGoogleもyoutubeもないから情報もなく、技の名前もわからないみたいな感じでした。
教材と言えば、スケボーショップで流れてるビデオに少し映るBBOYを観て、帰って真似するみたいにしてました笑
ー今では考えられないですね笑
それから月日を経て、転換点の一つ目で原体験でもあるRock Steady Crewのメンバーに。
そうですね。
ただオリジナルのNYとTokyoではそれなりにスタイルの違いがあります。
東京ではこの頃リズムスニーカーズなど、Rock Steady Crew Tokyoから影響を受けたクルーが増えてて、
映画『ワイルドスタイル』から影響を受けた王道のスタイルが多かったんです。
ただ自分はNYの方に憧れてたので、オーバーサイズが多かったり、
聴いてる音楽もBBOYブレイクスより、HIPHOPやラップミュージックが多かったです。
なので当時そういうTokyoで確立されたスタイルとは違うニュアンスのスタイルが逆にいいなと感じてもらったのか、お声がけいただきましたね。
ー実際入ったことで何か変化があったんでしょうか?
加入前も、在籍中も、がむしゃらに練習をし続け、
トライ&エラーの繰り返しの日々は変わりませんでした。
Rock Steady Crewの看板の重みは、在籍してた時よりも抜けた時に感じましたね。
当時Tokyo支部からNY本部に入らないか?というお誘いをレジェンド達からいただいたのですが、
チームの併用は無し、バトルへの参加はチャレンジャーになるので無し、
などの条件が出されました。
それらの条件が、その歳、その環境の僕には難しいなと判断したのと、
僕自身、外傷から神経へと首の怪我をしてしまい、踊りが制限、変化するタイミングというのもあり、
24.5歳くらいの時に、Rock Steady Crew Tokyoを抜けさせてもらったんです。
ーそうだったんですね。
首の怪我というのは転換点の二つ目ですよね。どんな状況だったんでしょう?
自分はヘッドスピンが得意でよくやってたんですが、
独学で効率の悪いやり方で練習してたり、体型や骨格が生まれつきストレートネックだったり、背骨のS字が人より真っ直ぐだったりして、色々自重の負荷がかかりやすかったんです。
それで無理が重なって踊りに支障が出てくるようになって、今思うと怪我をするのは必然だったと思いますね。
ーDANCE@LIVE FINAL 2007 BREAK sideで準優勝された時も怪我をされてたんでしょうか?
そうですね。 当時はかなり無理してました。
何よりも首が痛くて、腕と手に力が入らなくなってしまって、
トーマスやクリケット、1990などもまともに出来ない状態になってしまったんです。
それで流石に病院に行って、いくつかの病院をたらい回しにされて、徐々に原因が判明していきました。
ー苦しい経験ですね。。
今まで出来てた自分のシグネチャームーヴなどができなくなり鬱にもなりました。
ただこれがきっかけで自分の原点に回帰出来て、ALL STYLEへの転身に繋がっていきました。
ーWAAPERさんの原点、、気になります。
自分は何よりも音楽が好きで踊ってる。そこに気づいて救われたんです。
当時からDJをやってたので色んなジャンルの音楽を聴いてて、
バトルなどでよくかかるBBOYブレイクスより、90年代黄金期の西側東側のラップミュージック、ニュージャックスイングなどが好きだったんです。
そういった曲で踊るってなるとBREAKINよりも、HIPHOPやPOPPING、アニメーションやステップの方が合うんですよね。
ーなるほど。
WAAPERさんがALL STYLEへ転身したのは必然とも言えるんですね。
あと転身のきっかけをもらえたのは、DANCE@LIVEでした。
2007年以前はHIPHOP sideとHOUSE sideしかなかったんですが、
自分が準優勝した2007年から、BREAK sideとFREE STYLE sideが出来たんです。
それでこんな色んなジャンルのダンサーがぶつかる土俵あるんだと思って、すごい楽しそうだなって思ってたんです。
ーそうだったんですね。
ただ当時のBREAK sideにしか出てない自分からしたら、FREE STYLE side は神々の遊びみたいに見えました笑
これは修行しないとってことで、2年くらいはショーもバトルも全く出ないで、ひたすらこもって練習してましたね。
ーBREAKINと他のジャンルはかなり違いますもんね笑
そうですね。
出始めは本当に予選も上がらなかったですが、ちょっとずつですね。
それで2011年のDANCE@LIVEでファイナリストになれて決勝まで行けたんです。
ただ最後にGUCCHONさんに負けて準優勝で、悲願の初優勝は翌年の2012年でしたね。
ーすごいです。
ちなみに2020&2021のDANCE ALIVEでも優勝されて、その時は決勝がGUCCHONさんでしたよね?
そうです。実は繋がってるんです笑
準決勝で当たったHorieさんは、Rock Steady Crew Tokyoの頃から、大変お世話になってる先輩ですし、
BEST8で当たったYOUTEEはRock Steady Crew NYの現メンバーで、そこも繋がってたりしますね。
ーそういった背景も知ると余計面白いです。
2020&2021は久々の出場だと思うんですが、何か決意したきっかけがあったんですか?
僕はALIVEに出場するとなったら、1年前くらいから調整を始めます。
なのでALIVEはそれだけ失うものが多いですし、そこに没頭しないと勝ち取れないものなんです。
なので2回目優勝した2014年の後からは出場せず、
自分の本当に聞きたい音楽や踊り方などを研磨したり、
New School Orderや色々なジャンルの先輩方とショー作りをして、
トーン&マナーを意識したクリエイティビティーを学んでいました。
この7年でバトル用のダンスでなく、シンプルにリズムやグルーヴ、シルエット、コントロールの品と質を研磨し、
踊りを広くかつ深くしていた時期でしたね。
そんな折にシードバトラーとしてALIVE側からオファーを頂いて、
すごく悩んだんですけど出場させていただきました。
『Dリーグで培った、トータルコーディネートとしての作品作り』
ーそういった経緯があったんですね。
転換点の三つ目ではDリーグのお話がありましたが、WAPPERさんが参加したのもちょうどその辺りですよね?
そうですね。
SHUHOさんがディレクターとして率いる「dip BATTLES」にアシスタントディレクターとして参加しました。
ーこういったオーバーグラウンドの活動に、WAPPERさんが参加されたのは正直意外でした。
そこはDリーグの仕掛け人でもあるカンタロー君にお誘いいただきました。
これだけストリートどっぷりの自分が、Dリーグを後ろ盾して手伝うっていうことに必ず意味があるからって。
それこそDリーグを支えるANOMALYは、DANCE ALIVEを運営している会社でもあります。
BREAK sideから出場させてもらって、優勝して親にも恩返しさせてもらって、
本当に自分の人生を変えてもらいました。
なのでカンタロー君とANOMALYの為にできることがあるなら、っていう大義でしたね。
ーこれまでの恩返しの意味もあったんですね。
実際に参加してみてどうでしたか?
1年という短い間でしたが、参加して本当に良かったと思います。
特に一からトーン&マナーを揃えたショー作りをこの規模で学べた経験は、普通のストリートダンサーでは味わえないものでしたね。
Dリーグでは楽曲も自分達で制作するので、音楽好きな自分からしたらすごい楽しい部分でしたし、
ショーを魅せる上でも、この楽曲にはこの踊り、この靴にはこの靴下、このジャンルならこの服のサイズ感など、
全てをトータルコーディネートできるショー作りがやっぱり好きですし、向いてるなとも実感できました。
ー向いていると感じたDリーグでの作品作り。
それでも退団を決めたのはどうしてなんでしょう?
自分は今年40歳になるのですが、今が現役として一番脂が乗ってる時期だと思うんです。
なので現役としてもう少し自分と向き合う時期にしたいと思いました。
また、Dリーグはまだ3年目のプロトタイプでもあるので、
もう少しDリーグのフォーマットが確立して、自分も次の世代に知識や技術、マインドを託す時期が来たら、またお力添えしたいですね。
『シーンがチープにならないよう守る人に』
ー益々のご活躍を楽しみにしてます!
今後のことも伺いたいのですが、WAPPERさんの将来像などはあるんでしょうか?
まだまだ先の話ですが、将来的にはシーンがチープにならないように守る、シーンのリテラシーをあげられる人になりたいと思ってます。
というのも自分は、音楽やダンスの歴史やその踊りの時代感など、歴史的な文脈を調べるのが好きで、
自分の教え子のみならず仲間や先輩からも、「このステップなんて名前だっけ?」とか答え合わせとして自分を頼ってもらったりすることが多いんです。
そういう意味で、何かわからないことがあればWAPPERにってなるような時代考証人というか、
そういうカルチャーを大事に、シーンを守る人になっていきたいですね。
ーすごいです笑
その為に何か意識的にやってることがあるんでしょうか?
やっぱりストリートダンスはカウンターカルチャーというのが根本にあるので、
SNSでもあえての選曲だったり、あえて長尺のダンス動画をあげたり、そういった逆走は必要だと思います。
ただもちろん共存はしていきますし、空気を見極める判断力は大事ですね。
そういう意味で自分のレッスンでは、自分に嘘をつかず、
教科書としてではなく、今まで自分が哲学してきたことをまとめた参考書として、伝えるプロ意識を常に持ってます。
ーレッスンすごく気になります。
現在はどちらでやっているんでしょうか?
レッスンは今だいぶ絞ってプライベートレッスン(応相談)ばかりなのですが、
間口としては、目黒のblue DANCE studio、渋谷のDANCE WORKSでレッスンをしているので、
興味があればいらしてください。
ーこのインタビューで興味が湧いた人は是非行ってみて欲しいです。
WAPPERさん本日は素敵なお話をありがとうございました!