RYUICHI
RYUICHI
-ARIYA
-BREAKIN
14歳でBREAKINに出会い、高校2年生の時に出場したU-18 Be.bboyでの優勝を皮切りにBBOYシーンに身を投じ、
BBOY PARK、UK B-Boy Championshipsにて優勝。
さらに2009年にはBREAKINチームARIYA crewを結成し、日本屈指のスキルを武器に国内外で活躍。
現在は地元埼玉を拠点に、BREAKINをより身近なものにするべく地元でBREAKIN活性化に取り組んでいる。
今回はそんなRYUICHIさんがダンサーとしての価値観を変えた三つの転換点を軸に、
現在の活躍に至った経緯から、地元埼玉での活動とその理想のコミュニティの在り方など、
RYUICHIさんのダンス半生とマインドに迫る。
『我流でやったからこそ人と違うスタイルが出来上がった』
ー今回REELで踊っていただきありがとうございました! まずは選曲からお伺いしていいですか?
ありがとうございました!
今回はNORIKIYOというラッパーの「DO MY THING」で踊りました。
普段のバトルではこういった曲で踊る機会がなかったので、
せっかくなので普段からよく聴く好きな曲で踊らせて頂きました。
ー渋くて切れ味のあるラップがRYUICHIさんのダンスとも相性抜群でした!
今回踊る時に意識したことはありますか?
自分のスタイルを提示する踊りが好きで、技のコンビネーションや使い方にはこだわりがあるのでそこに注目して欲しいですね。
ー是非こだわりポイントもお伺いしたいです。
基本的にBBOYは右軸・左軸など自分の軸手を持っています。
利き手のようなものですね。
自分はその軸がバラバラで、右軸の時に左軸の動きを混ぜたり入れ替えたりするスタイルが見所だと思います。
ーそれはすごいですね。自分もBBOYなんですが逆手だとチェアもままならないです笑
メインの軸手はあって、徐々に逆手もできるようになった感じなんでしょうか?
いや最初からですね。
というのも我流でやっていたので、軸手っていう概念を知らなかったんです笑
なので当時はやりやすい方向でやっていて、フリーズは右軸でパワーは左軸でやる方が良かったり、
それで人と違うスタイルが出来上がっていったのかなと思います。
ーナチュラルに、、すごいです笑
最初はパワーの後のキャッチができなかったりして苦労しましたけどね笑
よく見ないと分からない部分かもしれませんが、是非注目して見て欲しいです!
『BBOY PARKの衝撃と優勝』
ーここからはRYUICHIさんのダンス人生にフォーカスしてお話を伺いたいのですが、
まずはご自身の中で踊り方や価値観が変わった3つの転換点を教えて頂きたいです。
一つ目は、2007年で「BBOY PARK」を通してマインドが変わったこと。
二つ目は、2013年「UK B-Boy Championships」の日本予選で優勝して、ダンスで初めて海外に行けたことですね。
三つ目は、今年の7月に息子が産まれたことです。
ーありがとうございます。その3つを軸に質問していきますね。
まずはそもそもダンスを始めたのはいつ頃ですか?
中学2年生の時に、テレビでBoAという歌手のバックダンサーを見てカッコいいと思ったのがきっかけで、真似して踊ってたのが最初ですね。
ーそのバックダンサーがブレイクダンスを踊ってたりしたんでしょうか?
ブレイクダンスではなかったんですけど、バク転やドルフィンなどアクロバットな動きをするダンサーもいて、
そういったダンサーには当時から惹かれてました。
ーなるほど!そこが原体験みたいなとこなんですね。
その後ブレイクダンスとはどのように出会うんでしょう?
友達が「ウインドミル」っていう単語を仕入れてきて、
当時はブレイクダンスという言葉を知らなくて、ウインドミル=ブレイクダンス思ってたんです。
それで調べていったら実はウインドミルはブレイクダンスの技の一つっていうことを知って興味が湧いたんです。
それからネットでブレイクダンスを調べて、フットワークを見よう見まねで練習し始めました。
あとはテレビで「THE夜もヒッパレ」っていう番組で、ISOPPさん達がショーケースをやっていて、
それを録画して少ない情報を頼りにのめり込んでいった感じですね。
ー最初は見よう見まねだったんですね。
その後誰かに教わったりもしたんでしょうか?
教わるのは高校生になってからですね。
違う高校にいった友達がブレイクダンスやっている人達を見つけて繋げてくれたんです。
その人達が実はパイレーツオブマチョビアンさんとマッチョさんですね。
ーパイレーツマチョビアンさんは以前DanceNowにもご出演して頂きました!
確かにチェアやアクロバットなどすごく綺麗でした笑
今でも健在ですね笑
それから一緒に練習しようって言ってもらえて、公民館で週2くらいで練習してましたね。
その後、埼玉の航空公園で練習してたら現在のチームメイトでもあるSNACKさんと出会ったり、 その辺から輪が広がっていった感じです。
ーなるほど。転換点の一つ目のBBOY PARKもこの辺りの時期ですよね?
そうですね。当時は高校2年生でした。
自分はまだバトル経験も浅くてBBOY PARKなんて、、っていう感じで、実際予選には上がれなかったんです。
ーそうだったんですね。
ダンスに対するマインドが変わったということでしたが何があったんでしょうか?
同じタイミングでSNACKさんも出場してて、 SNACKさんは自分の3つ歳上で、PARKに出場できるのがそれで最後だったんです。
予選を上がってはいたんですが結果優勝はできなくて、それでSNACKさんが泣いて悔しがっている姿を見て自分のマインドが変わったんです。
ーSNACKさんの本気度を見て、、
そうですね。
「自分は初めてだしどうせ予選上がらないだろう」っていう弱い気持ちで出場していて、
SNACKさんはこんな悔しがる程本気でやってたのに、俺は何をやってたんだって
その時に絶対BBOY PARKで優勝できるようなダンサーになるって決意したんです。
ーそこでダンスに対するモチベーションが大きく変わったんですね。
それで実際2年後のBBOY PARKで優勝することができて、あの経験がなければ今の自分はないくらいの大きな出来事でしたね。
ーたった2年で、、凄すぎます、、
一体どんな練習をしていたんでしょうか?
そんなに特別なことはやってなくて、ひたすら練習して大人に混じってガンガンバトルに出てましたね。
自分の中でエアチェアという武器もできて、特に高校2年生の時に出場したU-18 Be.bboyで優勝が出来て雑誌に取り上げてもらったり、
エアチェアの子だよね?と言ってもらえる様にもなりました。
あと上手くなった要因があるとすれば、本当に負けず嫌いだったんですよ笑
当時は自分に対してもすごく厳しくて、アップで肘倒立をするんですが、ちょっと調子悪かったら即帰るとか笑
いいように言えばストイックでハングリーさがあったんですよね。
BBOY PARK優勝っていう目標があって頑張れたのも大きかったと思います。
『BBOYとして人間として父親としてより挑戦していきたい』
ーやっぱり結果を残す人はそれだけの努力が裏にあるんですね。
さらに転換点の二つ目で2013年の「UK B-Boy Championships」では日本一にもなってますよね。
そうですね。
UKはブレイクダンス界のワールドカップみたいな有名な世界大会で、
ソロとCREWバトルの枠で各国の予選があり、優勝者がロンドンのFINALで戦うんです。
自分は日本大会のソロ予選で優勝できて、初めてダンスで海外に行きました。
ー初の海外のダンスイベントはどうでしたか?
かなり環境が違くて、待ち時間がすごい長かったり、逆にサイファーの反応がすごく良かったり笑
ーそうなんですね笑
衝撃を受けたということですがバトルはどうだったんでしょう?
当時は日本予選で優勝できたこともあって、自分のダンスは通用するんだ!っていう強い自信を持てたんです。
ただ海外では1回戦で負けてしまって、間近で世界のレベルの高さを見てすごい壁を感じたんです。
自信になった部分と打ち砕かれた部分両方とも経験できましたし、もっとやれる!頑張ろう!ってなりましたね。
ーARIYA CREWでも2017年のUKでFINALに行ってますよね。
ARIYAの結成はいつ頃だったんでしょう?
BBOY PARK優勝の翌年なので、2009年ですね。
当時スーパーチャンプルでもスター選手として名高かった、
高知の「SPIN CREW」のTEPPEIさんとSHUHEIさんが、東京でチームを作りたいということで誘っていただいたんです。
当時はTEAM BLACK STARΣのBobさんも所属してたり、スキルフルなCREWでしたね。
ーそうだったんですね!
2017年のUKではほぼ現在のメンバーですよね?
そうですね。
元からいるメンバーはDee君と自分だけなんですが、SNACKさんや他のメンバーなども加入して今のメンバーになった感じですね。
2013年のソロの時はFLOORRIORZがチームで本戦に行ってて、すごく楽しそうにしてるのを見てたんです。
それでチームでも絶対行きたい!って思ってたので、本当に嬉しかったですね。
Soul Mavericks vs Ariya | SEMI FINAL | UK BBOY CHAMPIONSHIPS 2017
ー三つ目の転換点では、7月にお子さんがお産まれになったということでおめでとうございます!
僕もリアルタイムでストーリーを拝見させて頂いてたので、生まれた時は自分事のように嬉しかったです笑
ありがとうございます笑
4ヶ月目になって、何かしたらちゃんと反応が返ってくるので本当に可愛くて幸せな毎日です。
ーお子さんがお生まれになったことでダンスに対するマインドも何か変化がありましたか?
なんで自分がダンスをしているか、ということに立ち返りましたね。
これまでも目標ややりたいことがあってがんばってきましたけど、今は子供にカッコいい親父だと思われたい。
それが今のモチベーションになってますね。
ー素敵です!
RYUICHIさんの思うカッコいい父親とはどんなものでしょう?
やっぱり挑戦している姿ですかね。
何事にも攻めの姿勢は持っていたいですし、何かに挑戦して打ち込んでいる人はかっこいいです。
BBOYとして人間として父親として、これからもっと挑戦していきたいですね。
『街の子供達が憧れるフッドスターになれたら』
ー現在のダンス活動についてもお伺いしたいです。
ARIYAとしてはタイトルを獲ることを目標に動いててそこは変わらずで、
今は新しい世代の人が入ってくれたり、これからもずっと続いていくクルーでありたいですね。
個人としては、もっとダンスで世界の舞台に立てるように挑戦してます。
あとは地元の埼玉が好きで、現在も埼玉の朝霞に住んで子供たちにダンスを教えたり、お祭りのイベントに出演したりもしてます。
ー地元でブレイキン活性化ですね。
そうです。
自分は性格的にも世界を変えるっていうより、自分にとって大切な地元で何かをしたいなと。
実は今いい環境が出来てて、自分が19歳の時からレッスンで教えてた当時小学生の子達が大人になって、
その子達が自分が今教えてるキッズ達を練習に誘って一緒に練習したりしてて、それすごく理想だなって。
ーすごい!育ってますね!
そうやって地域で循環していけばすごくいいなって。
自分はそういう子達が安心してダンスに打ち込めるコミュニティースペースだったり、練習場所を作れたらと思ってます。
ーブレイキンが地元でどういうものになったら!みたいな理想はありますか?
夢は街歩いてて外でブレイキン踊ってる子達がいる。
サッカーやキャッチボール感覚でブレイキンやってるみたいな感じですね。
そうやって日常にブレイキンが溶け込んだらいいなって思います。
ーそれはワクワクしますね!
ダンサーとしての目標も教えていただきたいです。
ダンサーとしては、レッスンを埼玉でやってて、今住んでる朝霞でもやりたいと思ってます。
あとは街を巻き込んで、外から人が来たくなるようなイベントやブレイキンを通じて付加価値がつけられるような活動ができたら、地域が盛り上がるのかなと思いますね。
ー人としての目標はどうでしょう?
自分が好きな「JOY&PAIN(紅桜,IO & Zeebra) 」という曲の中に『街のkidsが憧れるfamous』っていうリリックがあって、
街の子供達に憧れるフッドスターになりたいっていうのはずっと思ってます!
自分はブレイキンを通して救われたので、恩返しじゃないけど、その素敵なものを地元に広める活動をして、地元の子達が憧れる人になれたら嬉しいですね。
ーありがとうございます!
最後に告知などあれば!
埼玉中心にブレイキンのレッスンをやってます!
気になる人はレッスン用のアカウントもあるので是非覗いて見てください!