BROTHER BOMB
BROTHER BOMB
-POP DANCE
10代の頃から全国レベルのコンテストやバトルイベントで活躍し、
20歳という若さで日本最大級のダンスコンテスト「JAPAN DANCE DELIGHT」を制覇するなど、
100以上の実績を持つBROTHER BOMBさん。
また、ARKSTARの講師を経て指導者としての才能が開花。
KING OF SWAGのKELO、Rht.のReiNa、エンジェライズのRio&RingoWinbeeなど、
今をときめくプロダンサー達を育成し、絶大な支持を得る。
自他共に認める、その類まれなる発想力とオリジナリティーを駆使し、
ストリートダンスの次なる領域に挑戦し続けるカリスマダンサー。
今回はそんなBROTHER BOMBさんのダンサー人生を紐解きながら、ダンスの技術論はもちろん、より深いダンス哲学に迫っていく。
本気でダンスに捧げる人は是非何度も見返してほしい。
『ダンスを本気でやるなら、「浅い」「深い」どっちも知ること』
ー今回REELで踊っていただきありがとうございました! 日頃から踊る時に意識してることはありますか?
最近は自分のコンセプトとして「最高クラスのミュージカリティー」で踊ることを意識してます。
音自体はスキルで表現しつつ、音楽の雰囲気や全体像はダンスで表現する。
最近のダンスシーンはバトルサイズ(30秒〜40秒)に慣れすぎて、派手でショートなムーヴが好まれがちですが、
本当に音楽が好きなダンサーなら1曲を長いと思わないだろうし、実際に自分は2分以上踊るのは当たり前で、時に丸々1曲踊っている動画をインスタで投稿してます。
ダンスが上手かったり面白ければ、ロングサイズでも飽きずに見てもらえるはずですし、
そこに対するプレッシャーを跳ね除けるためにスキルやフィーリングを磨いてる感じですね。
それにダンスは長く踊れるほうが楽しいです。
ー今回ダンスを拝見させて頂いて、本当に踊りの引き出しが凄過ぎました笑 どのような練習をしたらBROTHER BOMBさんのようなことができるんでしょう?
まず引き出しを増やす才能の一つとしては"飽きっぽい"こと。
飽きずに一つのことだけを徹底するのも素晴らしい才能ですけど、
俺は気が多くて考えが変わりやすく飽きっぽい性格をしてるので、ハマッてたスタイルも急に放棄して、また別の感覚を求めた踊り方を模索してしまう。
またしばらくしたら前のスタイルに戻ったり、前の前に戻ったり、前の前の前に戻ったり。
そんな感じで20年以上ダンスしてきて、最初は全てのスキルが二流三流の味だったんだけど、
20年以上もアッチコッチ行ったり来たりして、蓄積&洗練されていくと、いつのまにか全ての料理が一流の味になってフルコースになってた感じ(笑)
なので気づいたら自然とダンスの引き出しが多くなっちゃってたって感じで、ついでに上達もしてたんです。
普通だと欠点になる"飽きっぽい"ってことも武器になるのがダンスの素晴らしさです。
ーなるほど笑 今回のダンスではどのようなところを意識されていたんでしょうか?
今回は秒数が限られていたので、BROTHER BOMBの即興ダイジェストダンスですね。
実はここ4〜5年はダンスに対する哲学が深くなりすぎて重く悩んでました。
ただ本当に最近になって一番わかりやすい入り口に1周して戻ってきた感じなんです。
ー「わかりやすい入り口」と言うと?
客観的にPOP DANCEの特徴は、まずロボットダンスっぽいってところだな!と思って、
最初の頃は俺もそこが面白くてPOP DANCEにハマっていったはずなのに、その感覚を失っていた。
だからスタート地点だったスタイルに帰ってきた感覚ですね。
それに、もし俺が幼稚園の子にダンスを見せるってなったら、ダンスの深みや気取ったカッコよさよりも、
まずロボットっぽさとかウェーブみたいな分かりやすくて凄い部分を見せるんじゃないかなって思うんです。
その原点スタイルを今のダンスレベルでやったら、こうなった感じです。
見た目には分かりやすいダンスになってるけど、いざ真似しようとしたらスキルフルで真似できないダンスっていう、俺としては理想的な状態。
自分のダンスレベルを下げずに、素人にも分かりやすくダンスで楽しませられる。
だから悩みから脱出する出口が、実は入り口にあったという話。
まあまた飽きると思うんですけど(笑)
ー興味深いお話です笑 逆に「深さ」というのはどういうことでしょう?
深いってことは人からしたら「分かりづらく」なることでもあって、浅いってことは誰にでも「分かりやすい」ものって感覚です。
もっと単純に言ってしまえば、深いは「アート」で、浅いは「エンタメ」。
これがガチんと噛み合って融合できたら、自分の芸術性は落とさず、観てる人も喜ばせられる。
今はSNSとかでも、分かりやすさが重要視されてると思うんです。
だから分かりやすいダンスシーンになっていてエンタメ的だけど、アート的には浅くもある。
自分のダンスに深みを求めるなら、やっぱり誰にも理解できないようなアートの精神性を通ってこないと、
発するダンスにもメッセージにも強い説得力はないと思います。
やっぱり自分だけの芸術性や哲学をダンスで表現していかなきゃ玄人ダンサーを納得させられません。
なのでダンスを本気でやりたいなら、人が考えないレベルの「深さ」も知っておかないと、ダンスが「遊び」という範疇だけに収まってしまうので、
ダンスに深みや味わいが出ないし、すぐにライバルに出し抜かれてしまうと思いますね。
ダンスに対する思考、音楽の感じ方、身体の動かし方、個性の出し方、人への伝え方、
ダンスを通じて芸術性を深めていくことは自分の感性を高めることに繋がるんで。
これが「深さ」に対しての哲学。
ただし注意しなきゃならないのは「深さ」だけに固執し過ぎると狂気的な芸術家マインドになりすぎるんで気をつけてください。
自分のダンスは誰にも理解されてない!って絶望したりして鬱っぽくなります。
これを俺は「アーティスト病」って呼んでいて、この病気にかからないよう最近は気をつけています(笑)
自分のレベルで適度に深みを楽しむ。
そして同じくらいの「深さ」にいる仲間もシーンに必ずいるはずだから、出会えたら一緒に踊って遊ぶ。
時に浅いとこでも照れずに踊って遊べればダンスは更に楽しいです。
「深さ」「浅さ」どっちも理解してこそ、一流のアーティストかつ優れたエンターテイナーなダンサーになれるはずです。
『インプロビゼーション(即興)には“一度しかできない美学”がある』
ー貴重なお話ありがとうございます! ここからはBROTHER BOMBさんのダンス人生にフォーカスしてお話を伺いたいです。 まずはそもそもダンスを始めたのはいつ頃ですか?
ダンスの原体験になったのは、小4くらいの時に、SMAPの「がんばりましょう」を学校の出し物で踊るってなって、
ダンスなんてしたことないのに目立ちだがり屋だったから、俺が振り付けをやる!って手をあげたところからですね。
人生初ダンスは創作ダンスのコレオ(笑)
その後も、「めちゃイケ」ってTV番組でナインティナインの岡村さんとSMAPの中居さんが踊ってたロックダンスの振付を真似したり、
中学でもDA PUMPが4人だった頃(4DP)の振付を覚えて友達に踊って見せたりしてました。
ーもう気づいた時には自然と踊ってたんですね笑
特に覚えてるのが、中1でDA PUMPの「ごきげんだぜっ!」を完コピして、遊び気分で友達に見せた時に「カッコいい!」って言われて、
小学校までは笑いが欲しくて踊ってたのが、カッコいいって言われたことが嬉しかった。
それがダンス人生スタートのきっかけです。
それからはDA PUMPの新曲が出るたびに歌番組をビデオに録画して、振付を完コピして学校でもストリートでも、ところ構わずソロショーするってのを中学卒業するまで続けてました。(笑)
だからDA PUMP(4DP)が間違いなく自分のルーツ。
その中でも特にヤバさを感じたKENさんのダンスに憧れて真似して踊ってました。
KENさんがTVの中から俺をダンスの道に引き込みましたね(笑)
あの人が存在してなかったら俺は今ダンスシーンにいないと断言します。
ーKENさんには実際にお会いしたりも?
数年前に繋がることができ、一緒にショーで踊らせていただいたり、昔の思い出深いDA PUMPの曲で2人でライブさせていただきました(笑)
人生最高の思い出です。
本当にDA PUMPが色んなジャンルを踊っていてくれていたので、当時から色んなスタイルのダンスに触れられたんです。
ーすごいです笑 多くの人がダンスやるならまずダンススタジオにってなるところを、BROTHER BOMBさんはそうではなかった。
でもそれで良かったなって思うのは、
今の子達は習い事から始まって、レッスンでダンスやジャンルの正しいこと、やっちゃいけないことを出だしから教われるけど、
俺はそれを全く知らずに自分勝手に個性的に創造的に踊れたんです。
好き勝手に照れずに踊ってきて、ダンスのノリを体感してから、後々にムーブメントの基礎を学んできたから、
個性を無くさずにダンスの基礎が理解できて今に至ってる。
それが俺のダンスにとっては良かったんですよね。
いきなり基礎で固められ過ぎたら自分っていう個性にも気づけなかったかもしれない。
ーBROTHER BOMBさんはエンジェライズのRingo WinbeeさんRioさんや、K-POPの振り付けでも大活躍しているReiNaさんを教え子に持ち、ダンスを指導していましたよね? 実際教える時もそのようにしているんでしょうか?
そうですね。
彼女達の持ってる個性や魅力を殺さないようにして、俺の使ってる基礎や編み出した技術を上手く取り込ませながら、
自分に似合う感じで踊れるよう、秘められた魅力を引き出していって、私のダンスって最高!って気分にさせる仕事(笑)
インストラクターってよりはプロデューサー。
だから動き的な外見だけじゃなくて、発想を働かせる中身も同時に表現できるように、インプロ(即興)をメッチャ鍛えましたね。
だからアドリブに強いダンスも出来るようなS級ダンサーに育成成功しました。
彼女達に限らず、今までの教え子達は基本的にインプロベースで教えてきましたね。
特殊なレッスン法だからこそ効果は抜群って感じでダンサーとして成長させてこれたと自負してます。
直接指導されてきた本人達が、レッスンの効果効能に自分自身で気づいてれば嬉しいですけどね。
ありがとうブラボムさん!って(笑)
ーインプロビゼーションを大事にするのはどうしてでしょう?
インプロに関して影響を受けたのはダンサーじゃなくて、実はダウンタウンの松っちゃんなんです(笑)
昔よくやってたガキ使のフリートークのコーナーで、
「松本さんは○○だったらしいですけど、どうだったんですか?」みたいな視聴者からのハガキが来て、
それに対して松っちゃんが即興で発想を展開してボケる。
その天才的な発想で大爆笑が生まれてく様子を見て、でたらめさえ成立させてしまうという、危なっかしくも美しい"即興"の魅力に気づき、
これが俺のダンス哲学の中心核になったんですね。
漫才やコントがコレオ的なショーなら、インプロってのは音楽に対するフリートークみたいなもんだなと感じて。
作り込まれた漫才やコントよりフリートークのほうが遥かに面白くなる場合があると。
芸人だとネタよりもフリートーク強い方が需要あったりするし。
ダンス哲学的に言えば、そこには一度しかできない"即興の美学"があるなって、20歳くらいの頃に感じて、
以来インプロへのダンス哲学を主に追求してますね。
でも誤解しないでほしいのはメッチャ振付は得意ですけどね。
だって俺自身がコンテストで成り上がってきたダンサーだから。
ショーなら振付が中心になるし。
フリー&振り、どちらも大事なダンスの要素だけど、現在の自分の役割としては振付を重視して指導するよりも、インプロを教えることが得意で情熱が上回ってしまってるって感じ。
今はインプロ指導のエキスパートって立ち位置でいきたい。
元々、ストリートダンスってソロが醍醐味だったと思うし。
やっぱりインプロで上手く踊れる子達は自分のソロダンスに自信あって、シーンに強い印象を残してると感じます。
それにインプロ上手い子は振付も自分流にカッコよく踊れると感じます。
インプロを理解することが、ストリートダンスの本質を理解するための鍵だと思ってます。
『大怪我は人生としては辛いけど、ダンス人生としては必要なイベントだった』
ーではBROTHER BOMBさんがダンスを人から教わり始めたのはいつ頃なんでしょう?
中学を卒業するくらいに、DA PUMPやSPEED、安室奈美恵、三浦大知の所属している事務所が運営するアーティスト&タレント養成所ができて、
そこにシュッとしてた頃の若き日の俺が二代目DA PUMPか何者かになるぞ!って感じで養成所の1期生として通うことになるんです(笑)
そこでストリートダンスというものを初めて習いました。
ーおー笑 その養成所はデビューの為のってことですよね?
やっぱり目立ちたがり屋だったし歌って踊りたかったんでしょうね!
その養成所にFISHBOYも3期生として入ってきました(笑)
そこで俺のクラスでは電撃チョモランマ隊のEBATOさん、SYMBOL-ISMのSUJIさんなどに正しいダンスの基礎を教わってましたね。
最初は2人を知らなかったけど段々とダンス界の様子が見え始めたら、2人ともメチャクチャ凄いダンサーだったんです。
その2人がダンスの基本的なスキルを教えてくれたんで、やっぱり20年経った今でも踊る時に役立ってますよね。
今でも感謝してます。
あと、レッスンに通うようになって初めてのダンス仲間達が出来たのも嬉しかったですね。
だって1人きりで約3年も踊ってきたから(笑)
やっと同じようなダンスをする仲間が増えました。
それに色々なジャンルのダンサーがいたんで様々なスタイルを見れて勉強にもなりましたね。
だからアーティストとしてデビューするよりも、ダンサーになりたいっていうのが自分の中で大きくなってきて、
3年目くらいで辞める決断をしたんです。
ってかデビューさせてくれなさそうだなって気づいた(笑)
ーそうだったんですね笑 その頃には既にPOPにハマっていたんですか?
その頃はLOCK、BREAK、HIPHOPですかね。
なんかグチャグチャでしたね(笑)まだPOPはやってませんね。
そもそもPOPの使い手が周りにいなくて、POPっていうジャンルがなんなのか?詳しく理解してなかったんです。
POPって震えてカクカクしたロボットダンスかな?みたいな(笑)
ー笑 POPに行き着く経緯はなんだったのでしょうか?
当時、発売された「DANCE STYLE」っていうダンスレクチャービデオを手に入れて、
その映像を観てたらOZさんっていう三つ編みを太く1つに束ねたヒゲフェイスのギャングっぽい人がPOPレクチャーをしてて、
うわあ不良ダンサーだ!これがPOPダンスなんだ!POPって危ないダンスだ!って感じでビデオを見ながら真似して踊ってたんです。
別のジャンルのレクチャーだとテクニックを伝えるのが横文字系なのに、OZさんは上腕三頭筋とか大胸筋とか漢字も交えて伝えてて、
なんか武術的でカッコいいしPOPも踊れたら強そうだなって思って、コツコツ練習してました。
ギャングな見た目と違って、教え方も丁寧で喋りも上手かったし、なによりダンスがカッコ良かった。
そんな感じでOZさんのレクチャービデオのおかげでPOPを知りました。
それで養成所のダンサーに歳上のPOPPERがいたので、すぐ仲良くなって、
その人について行ったダンスイベントでAFROISMとかフォーマーアクションとかに出会ったりして、東京で本格的にPOPを踊ってる人達がいるんだって知りました。
そんな感じで17歳くらいでPOP DANCE界に参入しだしたんです。
そこから養成所時代に出会っていたFISHBOYとFISHBOYのダンス仲間だったDAISUKEと共に「black D.O.G.S.」というチームを組むことになったんです。
最初は別ジャンルを踊ってたメンバーにもPOPやってこう!ってPOPの魅力を説きまくって、半ば強制的にハマらせていった感じです。
だからFISHBOYにPOPを教えた最初の人は俺で、俺にとっても最初の教え子がFISHBOYになる(笑)
そしてPOPチームとしてコンテストにたくさん出場して実績を重ねました。
17歳くらいでPOPPERとして本格的にチームやってたのは、日本中でも俺達くらいだったから、ジャンルの珍しさも手伝ってか、全国で有名になりました。
それによって日本中に新たなダンス仲間が増えた感じです。
その頃に大阪や沖縄の先輩POPPER達のダンスに多大なる影響を受けたり、
ELECTRIC BOOGALOOSのダンスを目の当たりにして衝撃を受け、ますますPOPにのめりこみ勉強していった感じです。
ーそこからBROTHER BOMBさんの本格的なダンサー人生が始まっていくんですね。 ご自身の中でここで踊り方や価値観が変わったという、3つのターニングポイントを教えて頂きたいです。
まあダンスってもんは誰かと出会うだけでも、少し方向性の角度が変わっただけでもターニングポイントと感じます。
だからターニングポイントはメチャクチャあるんですが、これまでの話に出てなくて急にパッと思い浮かんだことでしたら、
一つ目は、2005年、20歳の時にJAPAN DANCE DELIGHTで最年少優勝をしたこと。
二つ目は、22歳でARKSTARのキッズダンサー講師になったこと。
三つ目は、2011年、ヘルニアが重症化して手術をしたことですね。
ーありがとうございます! まず一つ目の2005年のJAPAN DANCE DELIGHTですが、これはチームでの優勝ですよね?
そうですね。
「G'old」っていうチームで、無名(ウーミン)の黄帝心仙人、フォーマーアクションのMADOKA、キッキィとの4人ですね。
ー凄いメンバーです笑 全プロダンサーが憧れる舞台を20歳で優勝するのは凄すぎますね。
確かにプロレベルのダンサーが何度も挑戦して、ようやく掴めるタイトルですからね。
まだPOP歴3年くらいだったし、それに初出場で獲ってしまって、
俺って天才じゃん!これでスターダムだ!あがりだ!と思ったけど、実際そんなこともなかったんです。
ーえ、そうなんですか?
優勝したのに、当時は年齢的に若すぎて全く仕事をもらえなかったんです。今のダンスシーンなら若いダンサーでも仕事たくさんもらえる時代なのに(笑)
それに作品の全体像、選曲、構成、振付を俺が中心になって完成させたのにも関わらず、チーム内では一番歳下だったから、周りのダンサー達からは正当に評価してもらえてなかった気がしてたんですよね。
優勝して栄光を掴んだ俺は大活躍したかったのに、そうはいかずに深夜の派遣バイト三昧で、ダンス自体は仕事になってなかった。
当時はSNSもなかったから言いたいことも言えず、かなり病んでた時期でした(笑)
これがダンス業界の厳しさかって思いましたね。
チャンピオンになったのに逆に挫折気分を味わっていた日々でした。辛かった。
いつもそばにいた弟子のKELOだけが俺を褒め称えながら支えてくれてました(笑)
ーそれはもどかしいですね、、二つ目のARKSTARでの講師の経験は、ダンサーとして認められたタイミングということなんでしょうか?
[ARKSTAR(アークスター):次世代のダンススターを育成するキッズダンスプロジェクト]
アノマリーのカリスマカンタローが誘ってくれて、旗揚げ時からスーパーキッズを育成する講師&振付師として参加させてもらったんです。
それで確かにダンサーとしての仕事にもなったし、指導者や振付師として認められてきて嬉しかったんですけど、
なにより言いたいことは、精神的に挫折を味わって、かなり心を閉ざしてしまったサイボーグだった俺が、
はじめてキッズダンサー達と触れ合うことで再び人間らしくなったというか(笑)
自分のキャリアよりも、もっと大事な部分が開いた転換点って感じです。
あの子達のおかげで人間に戻れた。キッズたちに人生の窮地を救われましたね。
ーなるほど笑 確かに現在の育成という原点がそこにあるんですかね。
そうですね。そこでインプロダンスを教えるノウハウを掴みました。
それがきっかけでキッズを受け入れていく今の感じにもなりましたね。
子どもにダンスを教えるのは大変だけど最高に刺激的で面白いなと。
自分も元祖キッズダンサーだったわけだし(笑)
もうARKSTARは解散しちゃったけど、今じゃあシーンの最前線で活躍してるダンサーばっかだからダンス続けてくれてて良かったし、
元指導者としては嬉しい限りです。
教えてきた恩も忘れてなきゃ更に嬉しいけど(笑)
大人になったみんなに久しぶりに会いたいな。
ーやりたい方向性も見えて、ダンサーとしての地位も上がってきた。しかし2011年に怪我を。これはどう言った状況だったんでしょうか?
十代の頃からひどく腰痛持ちではあって、度重なるダンスやレッスンでの疲労やムリが蓄積に蓄積を重ねて、
腰椎のヘルニアが大きく飛び出たらしく脊髄神経を圧迫してしまい、下半身の神経が遮断されちゃったんです。
「馬尾症候群」っていう下半身の神経障害ですね。
それでサ〜ッて感じで急に下半身の皮膚感覚が薄れて、脚の筋力も弱くなっちゃって、病院で緊急手術したんです。
手術は成功しましたが、脚の筋力や皮膚感覚の大半が戻らなくて。
医者には「バイク衝突事故並み」の重症って言われましたね。
ちょうど10年前くらいです。
「ダンスは諦めてください」とも言われて俺のダンス人生終わったって感じでした。
ーそれはきついですね、、
もう本当に絶望的でしたね。
当時入院してた時は年末で、紅白でアーティストが歌って踊って楽しそうにしてるのをテレビで観てて、
「なんで俺はこんなにダンスを愛してるのに踊れないんだ」と全ての踊ってるアーティストが敵に思えた。
うらやましかった。ダンスから目を背けてしまうくらいに病んでいた。
ーそれからどういう感じでリハビリをしていったんですか?
しばらくは脚が動かないのが辛くて、音楽も聴かずにダンスの映像も見ずに過ごしてたんですが、
やっぱりダンスのことは心の片隅で考えていました。
そしてある時、脚が上手く使えなくても代わりに上半身だけでブンブン踊ればいいじゃん!ってひらめいたんです。
それで上半身の勢いを利用して下半身がついてくればステップを踏んでるように見えるだろうと(笑)
それで踊り方をゼロから、本当に初心からやり直したんですよ。
大変だった。でも必要でしたね、あの時期は。
ーそこでダンスへの考えも深くなっていったと。
ですね。
基礎の重要性、思想、哲学、愛情、踊れる幸福感がグッと深くなったから、人生としては辛いけどダンス人生としては必要なイベントでした。
ちなみに今でも下半身の皮膚感覚は麻痺してます。
でもダンスをずっとやってきた身体だから、普通の人よりは筋肉の神経回復の戻りが良かったらしくて、
数年かけてツマ先立ちもできるようになって、10年かけて色んなステップも踏めるようになりました。
なんなら今は怪我する前より上手に脚を使えてます。
やっぱりダンサーはなによりも怪我に気をつけましょう。
ダンサーにとって踊れなくなる辛さは計り知れませんから。
ダンスは健康第一で、あまりにムチャするのはやめましょう。
自分の身体を世界に1つしかない楽器として、メンテナンスしながら一生大事にしてください。
そして、もし怪我をしてもアイデア1つで踊る方法は新しく見つかるはずだよってことも覚えておいてほしいです。
『人生はおまけ。踊る為に人生がある』
ーBROTHER BOMBさんの人生は本当にジェットコースターみたいです笑
現在インスタでは、ダンス研究者/ダンス評論家/という肩書きが記載されてますが、どういった活動をしているんでしょう?
そこはしょっちゅう文言が変わるので、そんなに深い意味はないです!
適当(笑)
ただ言ってしまえば、ダンサーって自分の考えを言葉にするのが恥ずかしいみたいな風潮があると思うんです。
でも世間に伝えたり、間口を広げるには解説する人はやっぱり必要なんですよ。
なかなか濃い経験値のある自分には、それを言うだけの説得力がついてきたと思うし、自分の考えを書くことも話すことも好きなので、
俺の言葉で救われたり面白いなと思う人がいるならダンスの語り手として動いてもいいんじゃないかなと思うんです。
ーBROTHER BOMBさんの思考にはどういったところからアクセスできるのでしょう?
以前はTwitterでダンス哲学を説いてたんですが、ここ数年はダンスのことを語るのは控えてたんです。
自分も深みに溺れて苦悩していたし、人にダンス哲学を伝えてる場合じゃなくって。
けど最近になって俺のダンス哲学やダンス論に救われてたって話を色んなダンサー達から聞いたりもするんで、
またTwitterを復活させるのもありかもしれないし、新しく別の媒体で伝えるタイミングかもですね。
とりあえず今もスマホのメモには延々と持論やダンス哲学を書いてますけどね。誰にも見せてないけど書き続けてます。
本当に俺からダンスを学びたくて実際にダンスを習ってくれている人達には少しずつ伝えてますが、
とんでもない量だし理論も凄すぎるから、まだ無償で全てを世には出したくないって感じ(笑)
とりあえず今は俺のインスタをチェックしといてください。
何か進展があればインフォメーションしますので!
急にスイッチが入って動き出すのを楽しみにしててください。
ーBROTHER BOMBさんのダンス哲学に少しだけ踏み込みたいです笑 最初のお話でもあった「深み」という部分で、具体的に踊りが深いダンサーとはどんなダンサーでしょうか?
技術的な話は置いといて、音楽性の話だけで言うならば、
誰の耳にも聴こえやすい音を取るのは一番簡単で浅い層です。
誰にでも聴こえる音で踊るって台本通りにカラオケ的に踊ってるのと変わらないんです。
一方で深いダンサーはわざと音を抜いたり、外したり、ずらしたり、ひねったり、隠したり、
「どこを感じて音取ってるの?なんでそう聴こえて踊れるの?」ってなります。
音楽の奥まで感じていたり、聴こえない間さえ表現したり、自分の中で音をつくったりしてしまうダンサー。これは深いレベルにいる。
それは究極の音に対するワガママな遊びだから、よく分からないって人も沢山いて、
その深さが上手くいって人に伝わりやすい時もあれば、少しも伝わらない時もある。
観る側の音楽性レベルに左右される場合もあったり、単純に自分のダンスレベルが低い場合もあるから。
ーなるほど。BROTHER BOMBさんが他人のダンスを見る時はどう見てますか?
これも技術面は置いといて音楽性だけを語りますと、
「一般にも音が聴こえやすい浅い層」+「俺が聴いてる一番やばいと思う音楽の深い層」を同時に並走して聴いて見て、
その中でどう行き来して踊ってるか?に注目してますね。
この二層の行き来が超上手いダンサーなら、一般の人にも届くし、玄人にも刺さる。
もちろん音楽性を表現できる技術ありきで。
ただこれが一概に"最も素晴らしいダンサー"って言えるわけではなくて、
どっちかだけでもいいし、寄ってもいいし、混ぜてもいいんです。
音楽の雰囲気によって、現場の環境によって、自分の気分によって踊り方が変わるのは当然です。
誰が見るかによってダンスの評価って簡単に変動するもんだし。
だから最終的にはやっぱり個人的な好みですよね(笑)
さっきの理論は、俺のダンス哲学的に好みってだけの話なわけで。
ーなるほど正解はないですね笑 ただその段階から一歩リードしたい場合はどうすればいいのでしょう?
全部を認識することですね。
あいつのダンスはダメ!イケてない!みたいなのもダンスの成長には大事な要素です。
だけど、それを全部経て、あれもあり、これもあり、白も黒も、グレーでもいい。
それらを全部経験して受け入れていけると、どのダンスもダンサーも理解できるようになってきます。
俺は基本的に深いスポットに生息して踊っていたい人だけど、単純にダンス楽しい!っていう浅瀬ゾーンの居心地の良さも凄くわかっています。
全部の場所をうろついた結果、今はどの場所で踊っても楽しいし、どこを泳いでも気持ちいいなっていう状態。
折衷案や中道な話じゃなくて、単純に丸ごと全部を受け入れたんです。
そしたら辿り着けた境地。
もしかしたら、またどっちかに寄って行くかもなんでしょうけどね。
自分の理想にさえ飽きっぽいんで(笑)
ー死ぬまで終わらない感じですね笑 そもそも哲学には、「人は何故生きるのか?」という大きなテーマがありますが、
BROTHER BOMBさんにとってはダンスが生きる意味でしょうか?だとしたらBROTHER BOMBさんが踊る理由ってなんでしょうか?
もはやダンスが生きる意味になっちゃいましたね。
逆に踊ってないと生きてないのかもしれない。
人生がオマケで、踊るために人生が存在している。
だから怪我で踊りが奪われた時に死んだも同然だと思ったし、せめて上半身だけでもいいから踊ろうってなった。
ダンスを初めてから今日まで、何を見てもダンスに当てはめるし、ダンスのことを考えない日はない。
カッコ良く言うなら、ダンスが俺のメインで人生はそのための音楽みたいな(笑)
ーカッコいいです笑 最後に今後の展望など何か考えてることはありますか?
なにかをやるからには革命を起こしたいですね。
あまのじゃくな性格だから逆張りが好きで、なんだって基本的に逆サイドからアタックしないと革命は起こせないでしょ?
ショートが席巻してる時代にロングムーヴをやるのもそのためです(笑)
変人じゃなきゃ何かを変えられる人になれないんで、そういう変わったことはずっと考えて生きてますね。
急にコレオ系ダンサーになるかもしれない。
キッズダンサーとチームを組むかもしれない。
ラップしながら踊り出すかもしれない。
女装してレクチャー動画だすかもしれない。
だから俺が急に変わったことしだしても暖かく見守ってください(笑)
自分のダンスで言えば、コロナ禍の暗黒期に自分自身と再び向き合ったおかげで、複雑だったダンス哲学もシンプルに整理がついてきて、
そろそろ戦いに行くというか、俺のダンスどうだ!って魅せていく頃合いかなとも思ってます。
他のジャンルに進出しても楽しそう。
最終的な夢は、教えてきた教え子達みんなで集まってサイファーやショーしたりして、いつか一緒に踊れたら最高にハッピーだと思いますね。
そのためにもダンス哲学を追求していき、まだまだたくさんのダンサーを育てていきたいとも思っています。
好きだからこそダンスに苦しめられる時もあります
そしてやっぱりダンスに救われる時があります
ダンサーの数だけ色々なドラマがある
ダンスを愛したりダンスに愛されながら
大好きな音楽を身体中から吸い込んで
この世というストリートで
自分の人生を踊っていきましょう
それがSTREET DANCER!