福助
福助
-W-CLAPS
-LOCKING
東北から全国的に活動するLOCK DANCE TEAM『W-CLAPS』のメンバー。
チームとして世界最大級のダンスコンテスト『JAPAN DANCE DELIGHT』のFINALISTに4度輝き、Vol.18、23では特別賞を受賞するなど、全国のイベントで成績を残す。
近年は東北を拠点にイベントオーガナイズ、WS、JUDGEなど幅広くダンスシーンに関わり、
昨年末には「Fukushima Locking Community」を開設。
地元福島でダンサーの輪を広げながら、LOCKINGシーンを支える活動を展開している。
今回はそんな福助さんが、ダンスを始めてチームを組み、東北を代表するダンサーになるまでのヒストリー、
さらに「Fukushima Locking Community」開設の背景から、福助さんの人間性にも迫る。
『パワーやエナジーを生むには脱力が必要』
ー今回REELで踊っていただきありがとうございました!
日頃から踊る時に意識してることはありますか?
ありがとうございました!
踊ってる時は厳密に言えば何も考えたくないんですけど、基本的には無理をしないようにしてますね。
ー無理をしない。どういったニュアンスなんでしょう?
例えば頑張って踊ってると必死さが出てしまうと思うんです。
それだと観てる人も頑張れ!という励ましの感情を持ってしまうのかなと。
でも自分はダンスを観てる人に楽しんで欲しい。
なのでなるべく頑張ってないように見せたいんですよね。
ーなるほど笑
頑張ってるダンスと、エナジーが出てるダンスはまた違う感じですよね?
そうですね。
楽器を叩く感じに近いかもしれません。
ドラムをよく鳴らすには、腕をリラックスしてスティックの先端が当たる瞬間だけ力を入れる。
なのでパワーやエナジーを生むには脱力が必要だと思ってて、そうなると無理をしないに繋がってくるんですね。
ー例えがわかりやすいです笑
確かに今回のダンス(REEL)ではその脱力から生まれるグルーヴがセクシーにさえ感じました。
ありがとうございます。
自分は存在が派手なので、動きの派手さは控えめにしてます笑
あと動きを控えめにすると余白が生まれて、色気っていうのもその余白から生まれてるんだと思いますね。
ーなるほど面白いです笑
福助さんの中で今回のダンスで注目して欲しいポイントなどはありますか?
うーん、観る人によって良いって思う部分や感じ方が違うはずなので、本当に好きなとこを観てほしいですね笑
今回選曲したのもFunkadelicの“You'll Like it Too”、直訳すると「あんたもそれ好きだろ?」っていう感じなので、
俺の踊りは人に「これ良くないすか?」て感じで踊れたらと思ってるので、何か感じて良いなって思ってくれたら嬉しいですね笑
『ダンスに出会ったことは人生の転換点』
ーありがとうございました!
ここからは福助さんのダンス人生にフォーカスしてお話を伺いたいのですが、
まずはご自身の中でここで踊り方や価値観が変わったという、3つの転換点を教えて頂きたいです。
一つ目は、大学1・2年生くらいで、W-CLAPSの相方SEI君と出会ったことですね。
二つ目は、2006年くらいのJuste Deboutに別の相方と出て、そこで初めて個人で認められたことです。
三つ目は、結婚と出産ですね。今は世間の評価よりも嫁さんや子供が楽しめるように生きてます。
ーありがとうございます。その3つを軸に質問していきますね。
まずはそもそもダンスを始めたのはいつ頃ですか?
ダンスは大学からで、たまたまダンスサークルの新歓を観てたら可愛い先輩がルパン三世のテーマでLOCKINGを踊ってて、
なんかダンスってモテそう、みたいなのが入り口ですね笑
ーそうなんですね笑
実際にダンスを始めてどうだったんでしょう?
動機はアレでしたけどすごいしっくりきたんですよ。
ていうのも自分は調子乗ると周りが見えなくなるタイプで、それでよく怒られてたんです笑
例えばバレーボールやってた時に調子乗ってワーって行ったらそれやるなとか、
陸上で別のトレーニングしてたらそれ必要ないとか、常に注意される側だったんです。
ただ唯一、大学で始めたダンスだけは怒られなくて、
クラスでギャーギャ騒いでても誉められるみたいな感覚になったんです笑
だからダンスに出会ったことは人生の転換点ですね。
ーおおお。福助さんとダンスがバチッとはまったんですね。
転換点の一つ目で大学1年生くらいで、相方のSEIさんと出会ってますよね?
そうですね。
田舎って練習場所がないのでサークルの練習場所に3人くらい明らかに毛色の違う人たちが来てたんです。
その中の一人がSEI君で、かっこいい人がいるなーって見てました。
ちょうどその頃、自分がダンス好きすぎてサークルで浮きはじめてたんですよ。
それで温度差を感じて外部のイベントに行った時にSEI君がいて話しかけたんです。
ーそれが初めての会話ということですね。
ただタメ口で喋りかけたら実は2個上の先輩でいきなり説教くらって笑
でもそれで「あ、この人いい人だ!」って思ったんですよ笑
多分自分に対して真剣に向き合ってくれたから、サークルとは違った暖かさを感じたんだと思います。
ーなるほど笑
そしたらSEI君に「俺のレッスン来いよ」って言ってもらって、SEI君のレッスンに通い始めたんです。
で1年くらい経ったくらいで「お金勿体無いからレッスンじゃなくて練習場所に来いよ」って言われて、
それから一緒に練習に参加させてもらったりクルーのお手伝いとかをさせてもらってたんです。
ー生徒から仲間になったんですね。
SEIさんとのチーム”W-CLAPS”を組むのはいつ頃なんですか?
大学2年から3年の間くらいですね。
チーム組みたいと思って俺から話しかけて、やるなら本気でやろうってなって組んでもらって今に至りますね。
ーチームを組んだことで何かが変わっていったんでしょうか?
とにかくチームで行動して何かにチャレンジするっていう機会は増えましたね。
当時はJAPAN DANCE DELIGHTのファイナルに行くことを目標にやってました。
ーこれまでDELIGHTでは4回のファイナリストに輝いてますよね。
最初にファイナルに行けたのはいつ頃だったんでしょう?
大学卒業した後で23歳くらいですね。
当時はSNSもない時代だったのでDELIGHTマガジンっていう雑誌に名前が載ると、
こんな奴らいるんだ。みたいな感じでシーンに知られるきっかけになりましたね。
その時はFlo MasterっていうLOCKINGのオリジネーターに、「こいつらがLOCKINGだ!!」って言われたりとか、
あとはOLD SCHOOL NIGHTでもBEST4に上がったり、
そういうことが多くあったのが20代の中頃でしたね。
W-CLAPS_SPECIAL PRIZE_JAPAN DANCE DELIGHT VOL.23 FINAL
ーすごいですね笑
転換点の二つ目Juste Deboutもその辺りですよね。
そうですね。
この時はSEI君がPOGと出るってなって、
それなら俺はPOGの相方のSHUTAと一緒に出ようってなって、
それで相方達は予選にうまいこと食い込めなくて、自分らは予選上がれたんです。
あと、GOGO BROTHERSとか有名な人達とも当たれたり、自分のムーヴにお客さんがワーっ!て沸いてくれたりして、
そこで認められた気がしたというか、個人としてはかなり自信につながった経験でしたね。
ーW-CLAPSという名前を外して、福助さんという一ダンサーとして評価されたんですね。
そうですそうです。
実際それから一人でいろんな地域の人と一緒に踊らせてもらったり、
個人でお仕事をいただけたるようになりましたね。
『周りの人は自分の鏡』
ー拠点はずっと東北なんですか?
そうです。
出身が福島で、大学から山形に行って、それから19年住みましたね。
で2年前に結婚とか親の関係で福島に戻って、その後出産も重なって今は福島ですね。
ー三つ目の転換点でも結婚と出産のお話がありましたね。
ここでの変化はどういったことだったんでしょう?
変化というか、ダンス界での評価もいいですけど、何よりも一番評価されたい人が嫁さんになりましたね。
奥さんはダンサーではないけどダンスを観るのが好きな人なんで、自分のイベントの動画送って観てもらったりもしてて、
コメントとかじゃなくて「楽しそうだね」とか「かっこいいね」とか何でもないんですが、それが今の自分にとっては大事というか笑
自分はこう見えて自信がないタイプだったりもするんで、諸手を挙げて自分に味方してくれる人がいることに心からありがとうって思ってます。
ー素敵な関係ですね。
お子さんもやはり存在として大きいですよね。
子供に関しては、生き物としてすげーってなりますね笑
このスピードでこんなに成長するんだとか、自分が笑顔になったら子供も笑顔になるとか。
やっぱり周りの人は自分の鏡だと思って、自分が丁寧に接したら相手も丁寧に返してくれる。
子供とのやりとりは、そういうシンプルだけど大事なことを気づかせてくれますね。
ー素直な子供だからこそ余計気づかせてくれる部分ですね。
お仕事に対しての変化などもありましたか?
ダンスを仕事として扱うことに対して今までより真剣に向き合うようになったと思います。
どんぶり勘定な仕事を断ったり、事前にちゃんとお金の提案や承諾などをやったり。
本当に意味のない出張とか、意味のない仕事、意味のない休みとかはせず、
必ず家族と自分に還元されることしか引き受けないようにしたことは大きい変化ですね。
『地元福島でのコミュニティー作り』
ー現在の活動についても伺いたいんですが、
長く東北を拠点にされていて、地域に根ざした活動などもされているんでしょうか?
本当に最近なんですけど、2022年の末から『Fukushima Locking Community』っていうのを始めて、
地元のスタジオや箱を使ってみんなで踊って、お祭り出したりっていうのをこれからやろうと思ってますね。
ーおお。何かきっかけがあったんでしょうか?
やっぱり地方は現場や練習場所が少なくて、
これまでレッスンに来てたけど、受験や就活で来れなくなった子達が戻る場所を作りたいなと思ったんです。
あとは、自分も歳をとってさすがに踊れる現場が少なくなってきたと感じてて、
レッスンをしてても10代20代の若い子達が、40代になる自分を見て憧れたりっていう機会はあまりないと思うんです。
だからコミュニティーを作って同じことやってる面白いおっさんくらいの立ち位置で、
踊る場所や価値を提供できるならやってみようってなった感じですね。
ーあくまで福助さんは同じ目線な感じなんですね笑
そうかもしれませんね。
そんなにこれを今後どうしていきたいっていうのも考えてませんし、単純に仲間がいた方がおもろいやん!って感じです笑
やっぱりシーンを作るってなると与える側になるけど、俺はとりあえず並べて一緒にどれにしようか?みたいな感じで、同じ立場でやっていけたらなと思います笑
ー無理をしない福助さんの人間性をここでも感じます笑
本当にこれまで地域活性化とかLOCKダンスシーンとか考えずに、好きなことを続けてたら、
みんなが背中を叩いて「東北を背負ってくれてありがとうございます!」みたいに言われるようになって、
ほんとラッキーっていう感じなんです笑
でもそろそろちょっと振り向いてみようかなが『Fukushima Locking Community』なんです。
ーなるほど笑
だからまずはこれおもろいからやらん?って自分からアプローチしてみて、 それでいっぱい人が増えて、
気づいたら地域が活性化してたらいいよねくらいには思ってますね笑
あとは意外と始めたら最初のぼやっとから、こうやったらもっと面白そうみたいなのはいくつか出てきてるので、
これからまた何か変わってくるとは思いますね。
ーありがとうございます。
最後に今後のことも伺いたいんですが、今見据えてる範囲で具体的に考えてることはありますか?
目標みたいなのは前からあって、相方のSEI君と60歳までW-CLAPSで踊るのがダンスの中では最大の目標ですね。
ーお〜!
60歳っていう区切りは何かあるんですか?
いや、多分還暦くらいだろうなって笑
あと20年くらい踊れたらすげーって感じで。
まあ単純に相方が好きなんで一緒にそこまで踊れたら嬉しいですね。
ーダンス以外だとどうでしょう?
自分が食うよりも後輩がちゃんと飯を食える状況にしてあげたいですね。
一緒に遊びに行こうってなって後輩が金ないから俺が払うよじゃなくて、
行きましょう!って後輩が胸張って言えるようにしたいですね。
その為にもダンスがちゃんとした仕事になるよう、自分がそのモデルケースになるように動ければと思いますね。
ー福助さんみたいな先輩が身近にいてくれたら安心します笑
まあ自分としては似合わないことしないように、俺を見て面白がってくれるような、生きてるだけでOKみたいな感じになれば嬉しいですね笑
それでダンスを機にダンス以外でも繋がるような活動を一杯して、みんなが幸せでニコニコ生きられれば最高ですね。