Riko Koyama
-JAZZ HIPHOP

中学生からダンスを始め、19歳で単身渡米し2年間NYで様々なジャンルを学ぶ。
その後現地のダンサーに混ざり数多くの海外アーティストのMVやステージに出演。

帰国後はインストラクター、振付師、バックダンサーなど幅広く活動し、 現在はレッスンをメインに下の世代の育成に力を入れる。

今回はそんなRikoさんのダンス人生を振り返りながら、自信と挫折を経験したNY留学、
そしてUNOさんやPURIさんの出会いを通して、現在に繋がるRikoさんの価値観に迫る。

『魅力の方の「魅せる」を意識して踊る』

ー今回REELで踊っていただきありがとうございました!
日頃から踊る時に意識してることはありますか?

ありがとうございました!

なるべく見ている人を自分の方にしっかり引き込めるように、
スキルをただ見せるんじゃなくて、しっかり魅力の方の「魅せる」っていうのを意識して、
スキル+αを常にイメージしながら踊るようにしています。

-なるほど。魅せる上でどのようなことを大事にしているんでしょう?

やっぱり魅せるためにはナチュラルさが大事だと思ってて、自分の生きている人生とダンスをあまり分けないようにしてますね。

自分がカッコいいと思うダンサーさんも生きているように踊る人で、そこへの憧れがあるので、
あまり嘘をつきすぎないように踊っている時の自分と普段の自分の色が重なるように意識してます。

-ダンスには人間性が表れると言いますが、そういうところが大事なのかもしれませんね。
今回のダンス(REEL)についても伺いたいのですが、注目してほしいポイントなどはあったりしますか?

今回は私の踊りを見たことがない人もいると思うので、ワンパターンにならないように色んな面が出せる振りを選びました。

この曲(Yoon Mirae-LAW)はスタートがめっちゃ強くて途中で一気に落ちたりとか、
グルーヴを魅せられる部分も入ってたり、そういう瞬間瞬間を楽しんでみてもらえたら嬉しいですね。

-確かに力強さや可愛さなど、色々なバリエーションが詰まってて素敵でした!
Rikoさんのダンスは特にキレが凄いなと思って、普段からやってる練習などはあるんでしょうか?

やっぱり体幹は大事ですね。

体幹を鍛えることで、安定した動きができるようになったり、ケガをしにくくなったりします。
レッスンの時には、一曲まるまる体幹を鍛えるトレーニングをやってますね。

あとは筋トレで鍛えられる筋肉と、踊ってつく筋肉も違うと思うので、とにかくそこを意識して踊り続けることも大事だと思いますね。

『気持ちがダンスに真っ直ぐ向けない時は離れてもいい

ーありがとうございました!
ここからはRikoさんのダンス人生にフォーカスしてお話を伺いたいのですが、
まずはご自身の中でここで踊り方や価値観が変わったという、3つの転換点を教えて頂きたいです。

一つ目は、19歳の時にニューヨークに留学に行ったことですね。

二つ目は、21歳の時にNYから日本に帰ってきて、東京に出てUNOさんに出会ったことです。

三つ目は、2年半前くらいにPURIさんに出会ったことです。

ーありがとうございます。その3つを軸に質問していきますね。
まずはそもそもダンスを始めたのはいつ頃ですか?

中学生の時に部活でダンスを始めて、高校生からは本格的にダンススクールに通い始めました。

-どういうジャンルをやっていたんですか?

部活は同好会のような感じで、先輩から教えてもらったり、コピーダンスをしたりといった感じでしたね。コーチも最初はいませんでした。

スクールではGIRLS HIPHOPのような感じで、神戸にある小さなスタジオだったんですが、今やっているジャンルとは少し違った雰囲気でした。

-高校の時からプロダンサーになりたいと思っていたんですか?

いえ、当時は自分のレベルも分からなかったので、プロになれるとは思ってなかったんですよね。

ただ就職というのが、どうしても自分の中ではイメージできなくて、
その時に親からダンスだけじゃなくて語学とかも含めてとりあえず大学入ってみたらと言ってもらえて、進学を決めたんです。

なので絶対ダンサーになるぞ!という感じではなかったですね。

ーそうだったんですね。1つ目のニューヨーク留学を聞きたいんですけど、これは何かきっかけがあったんですかね?

小中高大全部同じの幼馴染がいて、その子と大学でもずっと一緒にいたんですけど、
その子が大学1年生終わるぐらいの時に急に「来年カナダに留学行ってくる」って言われて。
でもその子がベストフレンドだったから。大学からいなくなったら私どうしようってなって笑

それで私も両親に留学行きたいって言って、そんな深く考えず決めましたね。

-そういう経緯だったんですね笑
ニューヨークではどのようなダンスを踊っていたんですか?

HIPHOPやJAZZ、コンテンポラリーなど、いろいろなジャンルを踊ってました。

でも最初は全然下手で目立たない存在で、何ヶ月か毎日レッスンを受けているうちに、先生に気に入られたり、シューティングに参加する機会がもらえたり、
少しずつ注目してもらえるようになりましたね。

-ニューヨークでは何か大きな変化があったんでしょうか?

私にとってダンサーとしての自信を持てたきっかけになりましたね。

ニューヨークでは、ダンサーがエージェント事務所に所属して仕事をもらうことが一般的で、なのでまずは事務所のオーディションに受からなければ、仕事をもらうことができないんです。

私は1年間ニューヨークでダンスを続けていた時に、そのオーディションを受けて合格することができて、
それが私にとってダンサーとして通用するっていう自信に繋がりましたし、今プロダンサーとしていられるのもあの経験があったからこそだと思いますね。

-ニューヨークはレベルも高いと思いますが、そこで認められたことで自信がついたんですね。

実際ダンサーとして頑張りたいという想いが強くなって、帰国して大学を辞めて、もう1年ニューヨークでダンスをすることを両親に許してもらいました。

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『ダンサーとしての視野と仕事の幅を広げてもらった出会い』

それでは2回目のニューヨークはもうフリーのダンサーという感じで行ったんですね。

そうですね。1年目は学生という立場だったので、お試しというか上手い人を見て追いかけていけばいいっていう感じでがむしゃらにやってたんです。

ただ2回目に行った時は、ダンスを仕事にしないといけないというマインドで行ったので、自分の中でダンスが違う感じというかすごいストレスになってしまって、帯状疱疹が出てしまったんです。

-おお。それは大変でしたね。

病院の先生からもしばらく踊っちゃダメと言われて、2週間くらいSNSも全部消て、観光とか海や公園に行ったりしてましたね。

それでダンススクールに戻る時にもこれまでのヒップホップ専攻からコンテンポラリー専攻に変えて、
プレッシャーを感じないように自分ができない環境にもう1回戻って、それから徐々に回復していけましたね。

ー結構言ってしまえば、ダンサーとしてはトラウマ的な出来事じゃないですか?

そうですね。もう病院に行く前は、自分がそうなっていることも分からなかったんで、毎レッスン最後にピックアップがあるんですけど、ピックアップが近づくと全部振りを忘れちゃんうんですよ。

真っ白になって、お腹も痛くなっちゃって何にも踊れないんです。

でも先生との距離感もあるから毎回ピックアップしてくれるし、でも私は踊れないしっていうので、毎レッスン終わった後は号泣してた記憶がありますね。

ー期待に応えられないのは余計辛いですよね。

でもそれがきっかけで別に踊りたくない時とか、自分の気持ちがダンスに真っ直ぐ向けない時は、離れた方がいいっていうのを知ったんです。

今は、生徒にもすごい言うんですけど、ダンスが嫌になる時もあるじゃないですか。
そうなったらもうとことん離れていいかなっていう。 別にそれが悪いことじゃないっていうのをその時に気づけたんです。

-なるほど。そこが最初言ってたナチュラルさにも繋がるんですね。
転換点の二つ目のUNOさんとの出会いについてお聞きしたいのですが、これはNYから帰国後でしたよね?

そうですね。日本に帰ってきて、繋がりも全然なくて、何をどう頑張っていいかわからない状況でした。
そんな中で友達に誘われてUNOさんのレッスンに行ったんです。

ーUNOさんのレッスンはどうだったんでしょう?

UNOさんのダンススタイルは自分が得意なものとは結構離れていたので、最初はとても難しかったんです。

でも1時間半レッスンで出来ないことを吸収しているっていう感覚が、ニューヨークに行った時の自分の感覚を思い出させてくれたんです。

とにかく何も考えずに踊れるっていう時間が、自分にとってとても大切なものでした。

ーUNOさんのレッスンは気負わずに踊れる時間だったと。

はい。あとUNOさんはすごいいろんな話をしてくれるので、その話や言葉一つ一つで、自分の視野を広くしてくれる人に出会えたっていうことも大きいですね。

-メンターというか。

そうですね。気持ち的にもダンサーとしてもUNOさんがいてくれたおかげで頑張れたっていう感じですね。

ー三つ目の転換点はPURIさんとの出会いということですが、その時の経緯も教えて欲しいです。

友達にPURIさんの現場のダミーダンサー(アーティストやアイドルの代わりに事前にフォーメーションやダンスを行うダンサー)として呼ばれて、
その時に初めてダミーっていう仕事をしたんです。

その時にPURIさんの周りの子たちがみんな仕事がめっちゃできたんですよ笑

それまで私はダンサーになるには、ダンスが上手ければいいんだっていう風に思ってたので、それ以外のこともめっちゃ大事だってことを知ったんです。

-新しい環境で新しい発見があったんですね。

あとは裏方っていう仕事が楽しいなって思えたのはPURIさんに出会ってからですね。

やっぱり最初は表の仕事にしか目が行かないから、私もバックダンサーやりたいとか、メディアの仕事がしたいという気持ちばっかりが強かったけど、
PURIさんと出会ってこういうアーティストさんとの関わり方とか、こういう自分の表し方とかもあるんだなって気づけたんです。

振付師がいてアシスタントがいてダミーがいて、それぞれのポジションでの仕事もあるっていうのをPURIさんと出会って知って、
そこで仕事の幅がまた増えたんですよね。

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『信頼できる生徒達と、より広い世界を一緒に見たい』

ーここからは現在のこともお聞きしたいんですが、今の主な活動は何をされてますか?

今はスタジオインストラクターがメインで、アーティストの振付や育成、女優さんやモデルさんのプライベートのダンスレッスンが多いです。

基本やらせてもらえることは何でもチャレンジしたいとは思ってますね。

ーレッスンがメインということですが、Rikoさんの大事にしているナチュラルさを、生徒さんにはどのように教えているんでしょうか?

まずレッスンの始まりに振り入れする時に「今日はこういう振りで、私はこういう風に踊るけど、同じように踊る必要は全くないよ」っていうのはいつも言いますね。

私の振りを元に自分を表すっていうのがベースだと思っているので、私のように踊ってほしいとか、こうしてっていうことはほとんど言わないです。

基本的には、振りの中でも「ここは自由」っていう部分を作るようにしてて、 足はこうだけど手は自由とか、
ある程度は覚えてもらってそれと並行しながら自分の色を出してもらうのは大事にしてますね。

ー なるほど!縛りすぎずに自分の色を意識してもらうんですね。
今Rikoさんが力を入れてる活動などもあったら教えてほしいです。

今は自分のレッスンに来てくれてる生徒たち、特にダンス以外の面でもついていきたいと言ってくれる子達をしっかりと育てたいと思っています。

信頼できる子たちがいることで、自分の仕事の質も変わるはずですし、より広い世界を一緒に見ることができるようになると思います。

なのでしっかり下が育てられるようにいいリーダーについての本とかを読んで勉強したりもしてて笑
そういう吸収もしつつ、お仕事としてみんなに返せるようにっていうのを今は目標としてますね。

-素晴らしいですね。Rikoさんがお仕事をする上で心がけていることもあるんでしょうか?

ダンサーってすごい狭い世界だからその中で結構生きていけちゃうと思うんです。

でも仕事相手は結構ダンサーじゃなかったりして、ダンサーって企業の人だったりとか幅広い人たちと一緒に仕事をしなきゃいけなくなるので、 ダンサーマインドが強くなりすぎると、何あれって思われちゃうこともあると思います。

なので一般常識的な部分はちゃんと保つことは大事にしてますね。

ー確かにより大きなお仕事となると、そういう配慮も大事になってきますよね。
沢山お話しありがとうございました! 最後に、告知やレッスン情報などがあれば教えていただきたいです。

レッスンの情報は私のInstagramでちょこちょこアップしてるのでフォローしてチェックしていただけたらと思います。(スタジオの情報だけでももらえたら嬉しいです)

多分私のレッスンに興味があるけど怖いと思っている人もいると思います。 でも本当に私のレッスンは上手くならなければいけないとか、こうならなければいけないということはないので、
とりあえず一回楽しみに来て頂けたら嬉しいですね!

-気になった方は是非!Rikoさん本日はありがとうございました!

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撮影・編集・インタビュー:ReoKomatsu